侍Jユニフォーム
はあ、野球見たいなあ、なんて暢気にほざいていられるだけ恵まれてるね。という時代である。
日本の野球ファンには永遠に語り継がれるであろう大会。新型コロナよ、4年に一度の愉しみを奪わないでおくれよ。
侍ジャパンの、すなわち野球日本代表のオリンピックのユニフォームをまとめてみたがそこはやはりレプリカですから。
テレビを消してくれ、部屋の調度品を捨ててくれ、電気を消してくれ、月を見てたんだ。佐藤隆彦。
アノ19世紀以来、今日に至るまで、この国の男の魂はいつだって右往左往。
いよいよ延期となりそうな東京五輪。WBCは大丈夫だろうか?と思いはじめた。
2003アジア野球選手権からずっと、ほぼ変わらぬデザインのユニフォーム。野球日本代表の、いや侍ジャパンの、いや星野ジャパン。まだまだつづきます。
このアジア選手権、忘年会スルーしてテレビ観戦したのを覚えている。冷ややかな目で見られたのを覚えている。
ここで宣言しておくが、しばらくは似たようなユニフォームがつづきます。北京五輪編が終了するまでつづきます。
2007アジア選手権はとてつもなく濃密な3日間だった。やはりオリンピックは予選がないとな。
この時代の国際大会は楽しかった。試合が増えすぎたのか、量の増加は質の低下というやつか、なぜだろう。
王貞治が日本代表の監督で、もしも召集されたら五郎は断れないよ。あ、呼ばれることはねえか。
遂にイチローが日本代表にやって来た。なんでそれだけで、ありがとう、って思うんだろ?
2004年はアテネ五輪だけでなく、近鉄とオリックスの合併に端を発した、プロ野球界初のストライキも行われた。この騒動のなかで当時の中日ドラゴンズ監督・落合博満は、なかなか男前なことを言っている。
アテネ五輪といえば、世間では長嶋ジャパンではなく、栄光への架け橋とか、チョー気持ちいいとか。だとか。
侍ジャパンのエースに必要なのはグルーヴ感だ。松坂大輔のピッチングにはグルーヴ感があった。俺たちは眩しさの向こうに不確定な明日を見ていた。
イチローがいないことを除けばほぼ完璧な日本代表だった。と思う。
試合数は少ないが、アジア選手権は楽しいね。来年の五輪予選としてのアジア選手権がないのは残念だ。
松坂、上原、黒田、岩瀬、城島、小笠原、松井稼頭央、宮本、高橋由伸、福留、わぱぱ、ぐわ、わぱぱ、凄いメンバー。
昔は野球にもW杯があったのですよ。気まぐれ?って感じでプロも出てたんですよ。今はWBCにその座を奪われましたけど。
全日本、ていうか野球日本代表、いわば侍ジャパンのユニフォーム。普段まったく興味のない競技に熱くなれる。オリンピックの魔力。
プロ入り2年目で日本代表のエースとして五輪出場の松坂大輔はやはり怪物である。
古田が出てればなあ、なんて思いながら見てましたよね。シドニーオリンピック。あとイチローも。ぐわし。
シドニー五輪ともなると、つい最近の出来事、なんて思ってしまうけどもう20年近く前なのね。Qちゃんとかね。柔道の誤審とかね。
野球日本代表、それって侍ジャパンのレプリカユニ、アトランタ五輪編パート2。初めて自分で自分をほめてあげたい。って言ってました。ぼくはいつも自分で自分をほめてます。
野球日本代表、俺たちの侍ジャパンのレプリカユニ。アトランタ五輪の頃。正直なところマイアミの奇跡のほうが記憶に残ってる。
いつだって野球日本代表、ようするに侍ジャパンのレプリカユニ。ずっと前のユニフォーム。今回もバルセロナ五輪。マジック・ジョンソンとかいたよね。
野球日本代表、いわゆるひとつの侍ジャパンのずっと前のレプリカユニフォームだよ。バルサ五輪だよ。
84ロス、88ソウル五輪の頃の野球日本代表、それって侍ジャパンのユニフォームですよ。今回はビジターですよ。
野球日本代表、それって侍ジャパン。古いレプリカユニフォーム。今回はとりあえずミズノだ!