侍ジャパンと、ユニフォームと

野球日本代表、すなわち侍ジャパンのユニフォームなどに関する二、三の事柄。基本的に週休二日制。日本代表ネタ、国際大会ネタがないときは野球カードでつなぎます。お許しを。

侍J歴代メンバー

野球日本代表、侍ジャパンが出場した主な年齢制限なしの国際大会のメンバー記事です。

【1991年 第16回アジア野球選手権大会兼バルセロナ五輪アジア地区予選】

五輪予選後にプロ入りするか、オリンピックを目指すかの選択を迫られる。

【1991年 第10回インターコンチネンタルカップ】

スペインて開催された野球の国際大会。バルセロナ五輪があるので。

【1990年 第11回アジア競技大会】

駒澤大学OBとしては若田部健一代表入りに、フフフ。

【1990年 第31回ワールドカップ】

ロッテ定詰雅彦が、座ったまま二盗を刺したのを見た。

【1989年 第15回アジア野球選手権大会】

与田と野茂がいる日本代表。

【1989年 第9回インターコンチネンタルカップ】

パンチ佐藤招集。

【1988年 ソウル五輪】

新世代野球日本代表。

【1988年 第30回ワールドカップ】

野茂英雄、現る!

【1987年 第8回インターコンチネンタルカップ】

現侍ジャパン・守備走塁コーチ清水雅治がいる。

【1987年 第14回アジア野球選手権大会兼ソウル五輪アジア地区予選】

長嶋一茂がいるけど、ざわつくわけでもない。

【1986年 第29回ワールドカップ】

いわば、侍ジャパン大学代表なのだが、どうでもいいが、投手に西岡剛という選手が。

【1985年 第7回インターコンチネンタルカップ】

1985年、日本代表ブルーハーツ。という歌詞の曲があったが、色々あった年だ。

【1985年 第13回アジア野球選手権大会】

本西厚博は外野の名手、というイメージが強いが、そういえば内野手だった。

【1984年 第28回ワールドカップ】

ロス五輪とはかなり違う代表チーム。

【1984年 ロサンゼルス五輪】

アジア予選で出場を逃すも、色々あって出場できたオリンピック。

【1983年 第12回アジア野球選手権大会兼ロス五輪予選アジア地区予選】

公開競技だが、野球界初のオリンピック出場を賭けたアジア選手権。でも。

【1982年 第27回ワールドカップ】

青島健太、懐かしいな。

【1981年 第5回インターコンチネンタルカップ】

球道くんこと、中西清起がいる日本代表。リッカーはミシンメーカーである。

【1980年 第26回ワールドカップ】

原辰徳と石毛宏典の三遊間だとしたら、気持ちが熱くなるね。

【1979年 第4回インターコンチネンタルカップ】

石毛宏典がいる日本代表。

【1978年 第25回ワールドカップ】

元日本代表・落合博満。

【1977年 第3回インターコンチネンタルカップ】

2大会連続でWBC日本代表コーチを努めた高代延博がいるよ。

【1976年 第24回ワールドカップ】

WBCにその座を奪われたのがワールドカップ。

【1975年 第2回インターコンチネンタルカップ】

インターコンチネンタルカップは、今のプレミア12のような大会である。

【1975年 第11回アジア野球選手権大会】

佐藤義則と中尾孝義がいる日本代表。

【1973年 第1回インターコンチネンタルカップ】

記念すべき、インターコンチネンタルカップの第1回大会。

【1973年 第10回アジア野球選手権大会】

まだまだ、投手陣が少ない日本代表。

【1972年 第20回 ワールドカップ】

捕手一人体制。

【1971年第9回アジア野球選手権大会】

山中正竹に、佐々木恭介もいる日本代表。

【1969年 第8回アジア野球選手権大会】

バルセロナ五輪野球日本代表監督の山中正竹が現役。という時代。