侍ジャパンと、ユニフォームと

野球日本代表、すなわち侍ジャパンのユニフォームなどに関する二、三の事柄。日本代表ネタ、国際大会ネタがないときは野球カードでつなぎます。お許しを。

【侍ジャパン 歴代ユニフォーム1931日米野球】

f:id:wataridori73:20240517104634j:image

 

くたばれコロナ!とりあえず小さくたって大きな声で叫ばなければ気がすまぬ。昨日も今日も。

いや、昨日のスパンジーの満塁ホームランは確かにハイライトだが、五郎としては平良vsバレンティンである。最後の158キロのストレートでの三振には鳥肌が立ちましたよ。バレンティンがのけぞりましたから。いやあ、ライオンズの話です。

で、本題。侍ジャパン、すなわち野球日本代表のユニフォーム。初めてオールジャパン全日本日本代表、今で言う侍ジャパンが結成されたのが1931年の日米野球においてである。読売新聞社によって企画されたこの大会でメジャーリーグ選抜チームは、ヤンキースのルー・ゲーリック、カージナルス主将でナ・リーグMVPのフランキー・フリッシュ、アスレチックスでア・リーグ首位打者のアル・シモンズなどが名を連ねた。

対する日本代表は読売新聞紙上での読書投票で一次選考、そこから選考委員会によって最終メンバーが決定した。当然プロチームのない時代なので、六大学の現役とOB選手から27名が選ばれたのである。

現役からは若林忠志苅田久徳(共に法政大学)、水原茂(慶應大学)、三原脩伊達正男(早稲田大学)などが選出された。OBからは久慈次郎(早稲田大学)、宮武三郎山下実(共に慶應大学)などが選ばれた。

 

 

SAMURAI JAPAN
Japan Baseball National Team  Jersey
1931 Major League Baseball Japan 
All-Star Series

 

これが第1号の日本代表ユニフォームである。野球殿堂博物館に展示されていたものだ。右袖には日章旗とアメリカ国旗をアレンジした袖章がついていた。当初は背番号はついてなかったが、来日したメジャー選抜チームのユニフォームに背番号がついていたので、あ、それいいね、って2試合目から日本もつけるようになった。

メーカーは「松屋」で、重さ530gである。ちなみに現在の侍ジャパンのユニフォームの重さは230gである。

 


f:id:wataridori73:20231213201407j:image

襟に松屋のタグが。なかなか洒落たデザインではないですか。

 


f:id:wataridori73:20231213201616j:image

この胸の「NIPPON」レターは濃紺の花文字というやつで、実に80年以上の時を経て、現日本代表のユニフォームに継承されることになる。

憎いじゃないか。

 


f:id:wataridori73:20200607232805j:image

2014年から現在まで使われている侍ジャパンのユニフォームの「JAPAN」レターに花文字が復活したわけである。ユニフォームのデザインは稲葉監督就任、ミズノからアシックスへのメーカー変更とともにマイナーチェンジがあったが、「JAPAN」レターのデザインだけは変わることなく使用されている。

日本代表ファーストユニフォームにふさわしいというか、これぞ初代、といった感じで実にシンプルなデザインだ。いつか日米野球のときにでも、完全復刻で侍ジャパンに着用してもらいたいものである。2031年など、どうだろうか。

 



 

一人一人がそれぞれの場所で踏ん張るんだ!がんばらない!怠けないこと!

そんな感じで。

 

一覧ページへ戻る