くたばれコロナ!とりあえず小さくたって大きな声で叫ばなければ気がすまぬ。昨日も今日も。
いや、昨日のスパンジーの満塁ホームランは確かにハイライトだが、五郎としては平良vsバレンティンである。最後の158キロのストレートでの三振には鳥肌が立ちましたよ。バレンティンがのけぞりましたから。いやあ、ライオンズの話です。
で、本題。侍ジャパン、すなわち野球日本代表のユニフォーム。初めてオールジャパン、全日本、日本代表、今で言う侍ジャパンが結成されたのが1931年の日米野球においてである。読売新聞社によって企画されたこの大会でメジャーリーグ選抜チームは、ヤンキースのルー・ゲーリック、カージナルス主将でナ・リーグMVPのフランキー・フリッシュ、アスレチックスでア・リーグ首位打者のアル・シモンズなどが名を連ねた。
対する日本代表は読売新聞紙上での読書投票で一次選考、そこから選考委員会によって最終メンバーが決定した。当然プロチームのない時代なので、六大学の現役とOB選手から27名が選ばれたのである。
現役からは若林忠志、苅田久徳(共に法政大学)、水原茂(慶應大学)、三原脩、伊達正男(早稲田大学)などが選出された。OBからは久慈次郎(早稲田大学)、宮武三郎、山下実(共に慶應大学)などが選ばれた。
SAMURAI JAPAN
Japan Baseball National Team Jersey
1931 Major League Baseball Japan
All-Star Series
これが第1号の日本代表ユニフォームである。野球殿堂博物館に展示されていたものだ。右袖には日章旗とアメリカ国旗をアレンジした袖章がついていた。当初は背番号はついてなかったが、来日したメジャー選抜チームのユニフォームに背番号がついていたので、あ、それいいね、って2試合目から日本もつけるようになった。
メーカーは「松屋」で、重さ530gである。ちなみに現在の侍ジャパンのユニフォームの重さは230gである。
襟に松屋のタグが。なかなか洒落たデザインではないですか。
この胸の「NIPPON」レターは濃紺の花文字というやつで、実に80年以上の時を経て、現日本代表のユニフォームに継承されることになる。
憎いじゃないか。
2014年から現在まで使われている侍ジャパンのユニフォームの「JAPAN」レターに花文字が復活したわけである。ユニフォームのデザインは稲葉監督就任、ミズノからアシックスへのメーカー変更とともにマイナーチェンジがあったが、「JAPAN」レターのデザインだけは変わることなく使用されている。
日本代表ファーストユニフォームにふさわしいというか、これぞ初代、といった感じで実にシンプルなデザインだ。いつか日米野球のときにでも、完全復刻で侍ジャパンに着用してもらいたいものである。2031年など、どうだろうか。
一人一人がそれぞれの場所で踏ん張るんだ!がんばらない!怠けないこと!
そんな感じで。