侍ジャパンと、ユニフォームと

野球日本代表、すなわち侍ジャパンのユニフォームなどに関する二、三の事柄。日本代表ネタ、国際大会ネタがないときは野球カードでつなぎます。お許しを。

【侍ジャパンの歴史・記憶 2004アテネ五輪】長嶋監督不在の長嶋ジャパンという十字架

侍Jの記憶2004アテネ五輪

 

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君たちは野球の伝道師たれ

「子供の夢をいかに現実のものにしてあげられるか。野球というスポーツが将来、繁栄していくために、選手は伝道師にならなければいけない」

長嶋茂雄はこう語った。

それは単なる指揮官の檄ではない。日本という国の野球文化を背負い、その火を絶やすなという切実な願いの結晶だった。

そして、その言葉の響きは、今なお野球人口の減少に喘ぐ現代の野球界に、警鐘のように鳴り響く。

だが、この物語の始まりには、もっと切迫した背景があった。

2000年のシドニーオリンピック、日本代表はプロとアマが混在するチームで挑み、初めてメダルを逃した。それは、誇り高き「日本野球」がそのプライドを傷つけられた瞬間でもあった。

この屈辱を払拭すべく、日本球界は「オールプロ」という新たな船を建造し、その舵を長嶋茂雄に託したのだ。

 

長嶋茂雄の不在

アジア予選を全勝で突破した長嶋ジャパンだったが、2004年の春、その輝きは突如翳る。

長嶋茂雄が脳梗塞で倒れたというニュースが駆け巡り、野球界に沈黙が訪れた。その時、選手たちは何を思ったのだろうか。

監督交代の議論も起こった。いや、当然だった。しかし、「長嶋茂雄」という名前のもつ力、それが一瞬にして会議の流れを変えた。

結論は、監督続投。

ただしその続投は、もはや象徴としての「長嶋茂雄」を意味していた。

結局、医師団の判断が下りた。長嶋監督はアテネに行けない。

残されたのは、彼の遺志を託された中畑清ヘッドコーチ。日本プロ野球の絶対的アイコンの影響を背負いながら、中畑は戦場に立たねばならなかった。

 

For The Flag

長嶋監督が残したスローガン。この言葉は、ただのキャッチフレーズではない。それは、選手たちの魂を繋ぐ糸だった。日本代表は球場のベンチに、長嶋監督のユニフォームと、監督自らが自由の利かない右手に代わり左手で「3」を刻み込んだ日の丸を掲げて試合に臨んだ。

彼らは祈るようにプレーした。

それは監督のためであり、自分たちの誇りのためであり、そして、何より「野球」というものの未来のためだった。

 

 

日本代表メンバー

監督代行

33 中畑清

 

コーチ 

32 大野豊       
31 高木豊 


投手

11 清水直行(千葉ロッテM)
13 岩瀬仁紀(中日D)
15 黒田博樹(広島C)

16 安藤優也(阪神T)
18 松坂大輔(西武L)
19 上原浩治(読売G)
20 岩隈久志(大阪近鉄B)
21 和田毅(福岡ダイエーH)
30 小林雅英(千葉ロッテM)
61 石井弘寿(ヤクルトS)


捕手

9   城島健司(福岡ダイエーH)

59 相川亮二(横浜B)


内野手

2   小笠原道大(日本ハムF)
5   中村紀洋(大阪近鉄B)
6   宮本慎也(ヤクルトS)
8   金子誠(北海道日本ハムF)
25 藤本敦士(阪神T)


外野手

1   福留孝介(中日D)
10 谷佳知(オリックスB)
23 村松有人(福岡ダイエーH)
24 高橋由伸(読売G)
27 木村拓也(広島C)
55 和田一浩(西武L)

 

 

基本オーダー

1(右)福留孝介
2(遊)宮本慎也
3(中)高橋由伸
4(捕)城島健司
5(三)中村紀洋
6(左)谷 佳知
7(一)小笠原道大
8(指)和田一浩
9(二)藤本敦士

 

 

 

 

 

予選リーグ

第1戦
イタリアvs日本
🇯🇵  2 0 3  1 1 4  1   12
🇮🇹  0 0 0  0 0 0  0   0
(日)上原、三浦 ─ 城島、相川
【本】中村1号、福留1号

 

予選リーグ第1戦のイタリア戦、初戦の先発はやはり上原浩治である。打線は中村紀、福留のホームランなどで大量12得点。投げては上原、三浦の完封リレーで7回コールド勝ちと幸先の良いスタートだった。

 


第2戦
日本vsオランダ
🇳🇱  1 2 0  0 0 0  0 0 0   3
🇯🇵  1 1 0  0 2 0  0 4 X   8
(日)岩隈、石井、黒田、岩瀬 ― 城島
【本】藤本 1号

 

2戦目のオランダ戦はチーム最年少の岩隈が先発。好調なレギュラーシーズンのようなピッチングを期待されたが、初回に1失点、2回にはさらに2点を失い満塁で降板と悔いが残った。
だが、4回から黒田が5イニングのロングリリーフと試合を立て直した。攻撃陣は宮本、高橋、城島、中村紀ら上位打線の活躍で8得点である。

 


第3戦
キューバvs日本
🇯🇵  0 2 0  2 0 0  1 0 1   6
🇨🇺  0 0 0  0 0 0  0 0 3   3
(日)松坂、石井 ― 城島
【本】和田 1号、城島 1号、中村 2号

 

3戦目は大一番となるキューバ戦。
もちろん先発はエース松坂大輔。
「キューバに勝つのは私の悲願。普段通り集中してプレーするだけです」試合直前に日本の長嶋監督からの激励メッセージが伝えられた。
2回に和田一浩の2ラン、4回には城島、中村紀の連続アーチで4点をリードする展開となった。
4回裏、グリエルのライナーが松坂の右上腕部に直撃する。だが松坂は患部にテーピングを巻き、アイシングしながらその後もピッチングをつづけた。
エースの気迫が流れつくり、2点を追加した日本代表。オリンピックの舞台で初めてキューバを撃破した歴史的勝利である。

 


第4戦
日本vsオーストラリア
🇦🇺  0 0 0  3 0 0  3 3 0   9
🇯🇵  0 0 0  1 3 0  0 0 0   4
(日)清水直、岩瀬、三浦、石井、安藤 - 城島
【本】福留 2号

 

4戦目のオーストラリア戦、先発は清水直行。序盤は清水のペースで進んだが、4回にストレートを狙われ5連打3失点。福留の3ランなどで一時は逆転するが、三浦、安藤で6失点を喫して完敗となった。全勝で金メダルを目指した日本代表だが、格下オーストラリアにまさかの敗戦である。

 


第5戦
日本vsカナダ
🇨🇦  0 0 0  0 0 0  0 0 1   1
🇯🇵  2 1 1  3 1 0  0 1 X   9
(日)和田毅、岩瀬、小林雅 - 城島
【本】高橋由 1号、谷 1号、和田一 2号

3Aクラスの選手を揃えてきたカナダ代表に対して、投打が噛み合い快勝。
先発の和田は7回を無失点に抑えた。

 


第6戦
日本vs台湾
🇹🇼  0 0 3  0 0 0  0 0 0  0   3
🇯🇵  0 0 0  0 0 0  3 0 0  1   4
(日)上原、石井、黒田 ― 城島
【本】高橋由 2号

 

午前10時半プレイボールと、不慣れな登板に調子が上がらない先発の上原浩治は、台湾の4番・陳金鋒に先制のスリーランホームランを打たれる。
だが7回裏に日本は、高橋由伸のツーランホームランなどで同点に追いつき、延長の末になんとか勝利し決勝ラウンド進出を決めた。

 


第7戦
ギリシャvs日本
🇯🇵  0 1 0  0 0 1  4 0 0   6
🇬🇷  0 0 0  0 0 0  1 0 0   1
(日)清水直、岩瀬、三浦、小林雅 ― 城島、相川
【本】福留 3号、高橋由 3号

 

勝てば予選1位通過となる予選リーグ最終ゲーム。先発予定だった岩隈が体調不良となり、中三日で清水直行がマウンドへ。
清水は7回途中までを1失点に抑えた。
打線はギリシャ先発のメレヘスをなかなか攻略できなかったが、7回に福留と高橋由伸のホームランでようやく突き放した。

日本代表は予選リーグ6勝1敗の1位で準決勝進出となった。

 

 

 

 

決勝ラウンド

準決勝

日本vsオーストラリア
🇦🇺  0 0 0  0 0 1  0 0 0   1
🇯🇵  0 0 0  0 0 0  0 0 0   0
(日)松坂、岩瀬 ― 城島

 

準決勝の相手はオーストラリアである。
2度も同じ相手に負けることは許されない。金メダルが至上命令であるならば、負けることは許されない準決勝。
先発は当然の松坂大輔。
キューバ戦での負傷で万全ではなかったのだが、初回を三者連続三振、5回まで10奪三振である。さらに被安打1、無失点と完璧な投球だったが、日本代表も点を奪えない。
迎えた6回表。2アウト1、3塁から松坂はキングマンにタイムリーを浴びてしまう。この1点が決勝点となり、日本の金メダルへの道は閉ざされた。

 

 

3位決定戦

カナダvs日本
🇯🇵  2 0 4  1 0 0  0 4 0   11
🇨🇦  0 0 0  1 1 0  0 0 0   2
(日)和田毅、黒田、小林雅 ― 城島、相川
【本】城島 2号

 

3位決定戦の相手はカナダ代表である。先発は予選リーグと同じく和田毅。
和田は初回からトップギアで3回を5奪三振、2失点と試合をつくった。
打線は初回に城島の2ランで先制、3回には和田一のタイムリーで追加点をあげる。継投の黒田は3回を無得点、5奪三振の力投である。銅メダル。オールプロの長嶋ジャパンとしては最低限、とりあえず最低限の結果は残した。



ドリームチーム、その愚直さの代償

オーストラリア代表は試合巧者だった。彼らは予選リーグ最終戦で、攻守の要であるニールを敢えて外し、カナダ相手に意図的な0対11の敗戦劇を演じた。

準決勝で日本と相対するための布石── いや、それはもはや布石ですらない、ある種の演出だった。

勝敗の向こう側にある現実を見据える知恵とでも言おうか。

だが、それに対峙する日本代表はどうだったか。

全勝で金メダル。無垢なる目標が掲げられたその瞬間、何かが崩れ落ちる音が聞こえたような気がした。

予選リーグ最終戦という、消化試合でありながらも消化されない試練の場において、彼らはスタメンすら変えなかった。その不器用さがある種の「美徳」とされるのが日本でもある。

ここにきて、オールプロであるドリームチームで挑んだ最大の弱みが露呈されたというわけだ。

もし日本が2位もしくは3位で予選リーグを通過していたなら、準決勝はナイターで行われ、リズムも整いやすかっただろう。

オーストラリアやカナダを相手にしても、その差は大きくない。

選手の体調を考慮した合理的な選択肢を模索する余地は確かにあったのだ。

それでもなお、「全勝」という十字架に挑む愚直さ── それは一体何をもたらしたというのか。

 

長嶋ジャパンという幻影

長嶋ジャパンの名のもとに結成された「ドリームチーム」という響きの持つ力と、その裏に隠された不安定さ。

日本代表の戦いぶりは、国際大会における未熟さを露呈するものでもあった。

アテネの地に届くことすら叶わなかった長嶋監督の幻影が、チームの背後で静かに揺れていた。

彼らは多くを背負いすぎたのだ── 名誉も、期待も、そして無限の責任も。

 

新たな舞台への序章

2年後、WBCという新たな国際大会が幕を開ける。アテネでのこの「愚直さの代償」が、次なる戦場でどのように昇華されたのか。それは、また別の物語で語られるべきだろう。