侍ジャパンと、ユニフォームと

野球日本代表、すなわち侍ジャパンのユニフォームなどに関する二、三の事柄。日本代表ネタ、国際大会ネタがないときは野球カードでつなぎます。お許しを。

【侍ジャパの歴史・記憶 2006WBC後篇】拝啓、ボブ・デービッドソン。アメリカ野球が死んだ日、そしてアナハイムの奇跡、そして栄冠

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2次ラウンド

プール1:エンゼル・スタジアム

第2ラウンドからはアメリカでの戦いとなる。アジアラウンド最終戦からラウンド2初戦までは1週間のインターバルがあり、日本代表はアメリカでマリナーズ、レンジャーズなどの若手チームと練習試合をして調整をつづけた。

 

 

GAME1
アメリカvs日本
🇯🇵  1 2 0  0 0 0  0 0 0   3
🇺🇸  0 1 0  0 0 2  0 0 1X    4
(日)上原、清水、藤田、薮田、藤川 ― 谷繁、里崎
【本】イチロー1号

 

初戦はアメリカ戦である。結果的にこの試合の敗戦がチームに結束をもたらすことになったのは皮肉である。また、日本国内で野球ファン以外にもWBCという大会を認知させたのも、この試合において、ある事件が勃発したからである。
ラウンド2の初戦、初戦はやはり上原浩治。そしてイチローが初回にアメリカ代表のエース・ピービーから先頭打者ホームランを放つ。試合前、対戦相手に憧れの眼差しを向ける日本代表に危機感を覚えたイチローは狙っていた。憧れではなく、勝てる相手だと教えるために第一打席でホームランを狙っていたのだった。
2回には川崎のタイムリーで2点を追加する日本代表。だが2回にチッパー・ジョーンズ、6回には代わった清水がデレク・リーにホームランを打たれ同点に追いつかれてしまう。

で、同点のままむかえた8回表に事件は起きた。

西岡がセンター前ヒットで出塁、多村ファールフライで松中、福留が四死球で一死満塁となる。ここで岩村がレフトにフライを打ち上げ、西岡がタッチアップでホームイン、勝ち越したかに思われた。

だが。アメリカの抗議により塁審のジャッジを球審ボブ・デービッドソンがオーバーコール、西岡は離塁が早かったとされアウトになった。

アメリカの抗議は西岡の離塁のタイミングだけでなく、三塁ランナーの離塁の判定を下すのは塁審ではなく球審のはずだ、というものでボブは素直に従ったというわけだ。

こうなると西岡の離塁のタイミングなどどうでもいいような気になってしまって、そもそも自分で塁審に離塁のジャッジを促したくせに、抗議されてやっぱ自分が判定します、という無茶苦茶なことをしでかしてくれたボブである。

判定が覆りアメリカ代表のマルティネス監督が下品なガッツポーズを決めた瞬間をもって、アメリカ野球が死んだ日、と言われた。最後は藤川球児が9回裏にアレックス・ロドリゲスにタイムリーヒットを打たれてサヨナラ負けである。

 


GAME2
メキシコvs日本
🇯🇵  0 0 0  4 1 0  0 0 1   6
🇲🇽  0 0 0  0 0 0  0 1 0   1 
(日)松坂、和田毅、薮田、大塚 ― 里崎
【本】里崎1号

 

第2戦はメキシコ戦。もう負けられない日本の先発は松坂大輔。ストレートの走りがよく、里崎の強気のリードで得点を許さない。日本打線は硬さが目立ち、なかなかチャンスに点が入らないが、4回に小笠原のタイムリー、里崎の2ランホームランで畳み掛ける。投手陣は和田毅、薮田、大塚が1失点でつないで6対1で日本が勝利した。

 

 

GAME3
日本vs韓国
🇰🇷  0 0 0  0 0 0  0 2 0   2
🇯🇵  0 0 0  0 0 0  0 1 0   1
(日)渡辺俊、杉内、藤川、大塚─里崎
【本】西岡2号


第2ラウンド最終戦は再び韓国戦である。日本の先発はアジアラウンドと同じ渡辺俊介、韓国は朴賛浩。球場は韓国応援団が多くほとんどアウェーで、「30年発言」の余波でイチローに執拗にブーイングが浴びせられる異様な雰囲気であった。
息詰まる投手戦、8回表に韓国が先制する。四球から途中交代の今江のミスでピンチを広げて、李鍾範のタイムリーで2点を奪われてしまった。その裏、西岡のホームランで1点は返すが反撃はそこまで。日本代表はアジアラウンドにつづき韓国に連敗してしまった。
ゲームセット後に韓国代表がマウンドに国旗である太極旗を立てるという非礼な行為に出る。イチローはこの敗戦を野球人生で最も屈辱的な日と語り、誰もが決勝ラウンド進出をあきらめていた。メキシコがアメリカに勝たないかぎりは日本の決勝ラウンド進出はない。しかしメキシコは韓国、日本に負けて、もはやアメリカ戦を消化試合くらいに考え、前日の練習もとりやめディズニーランドに観光に行っていた。誰もがあきらめていた。
だが奇跡は起きたのだった。アナハイムの奇跡。奇跡をもたらしたのはボブ・デービッドソンといってよい。再三にわたるアメリカ寄りの判定にメキシコ代表は怒り心頭、アメリカにだけは決勝ラウンドに行かせない!と奮起し見事に1点差で勝利をおさめたのである。これで第2ラウンド プール1は韓国が3勝で1位。1勝2敗で日本、アメリカ、メキシコの3チームが並んだ。アナハイムの奇跡。当該チーム間の得失点差により、日本代表が決勝ラウンド進出となったのである。

 

   

 

 

決勝ラウンド:ペトコ・パーク

SEMI FINAL
韓国vs日本
🇯🇵  0 0 0  0 0 0  5 1 0   6
🇰🇷  0 0 0  0 0 0  0 0 0   0
(日)上原、薮田、大塚─里崎
【本】福留2号、多村3号

 

準決勝の相手はまたしても韓国。この試合で王監督は動いた。不調の福留を外して不動の1番であったイチローを3番に、1番に青木を初めてスタメンで起用した。この采配がドラマを生む。
試合は雨のため20分遅れでスタート。日本の先発は上原浩治。この日の上原は完璧ともいえるピッチングだった。7回を投げ散発3安打、8奪三振、四死球0である。日本打線も韓国投手陣をなかなか打ち崩せず重苦しく試合は進んだが、7回表に遂に動く。先頭の松中が気迫のヘッドスライディングで2塁打、多村は三振に倒れるが、今江に代わりスタメンを外れた福留孝介が代打で打席に立つ。ここで実況のアナウンサーが祈りを込めて口にしたのが、「生き返れ福留!」だ。その直後に福留の2ランホームランが飛び出す。これで重苦しい空気は吹き飛び、里崎、宮本、イチローにもタイムリーが出て日本代表は5点を奪う。その後は薮田、大塚の完封リレーで日本の完勝である。

五郎は福留のホームランで号泣した。

 


FINAL
キューバvs日本
🇯🇵  4 0 0  0 2 0  0 0 4   10
🇨🇺  1 0 0  0 0 2  0 2 1   6
(日)松坂、渡辺俊、藤田、大塚 ― 里崎

 

遂に決勝である。
決勝の対戦相手は、準決勝でドミニカ共和国に快勝したキューバである。史上初のメジャーリーガー参戦の国際大会であったが、決勝の組み合わせはメジャーリーガーゼロのキューバと2人の日本となった。これは面白い。オリンピックで、日本代表は打倒キューバを掲げて戦っていた。アテネ五輪でその悲願を達成するが、予選リーグである。やはり決勝の舞台でキューバを倒すことが、日本が成し遂げるべき目標なはずだ。
先発は松坂大輔。アテネ五輪でキューバに勝っている。フルスイングしてくるキューバ打線に対してストレート勝負の松坂。先頭打者にホームランを打たれたが、4回を1失点で乗り切った。
打線は初回に押し出しで2点、今江のタイムリーでさらに2点を取った。5回表には多村の内野安打、小笠原の犠牲フライで2点を追加。その裏から渡辺俊介が登板、6回裏にエラーをきっかけに2点を失う。このあたりで日本は硬くなったのかエラーが目立っていた。8回裏に交代した藤田がセペタに2ランホームランを打たれて1点差に迫られた日本代表。
最終回、イチローのライト前ヒットでランナー川崎が生還、このときのホームへのタッチは「神の右手」と呼ばれて語り継がれている。その後も得点を重ね4点を追加した日本、最後は大塚が締めて初代WBC王者となった。


大会MVPに松坂大輔。ベストナインに松坂大輔、里崎智也、イチローが選出された。

 

WBC2006 チャンピオントロフィー

 

WBC2006 決勝キューバ戦ウイニングボール

 

 

 

WBC2006 優勝メダル

 

 

WBC2006 チャンピオンリング

 

 

2006WBCの課題

第1回ということもあり、いろいろと課題の残った大会であった。
アメリカ戦でアメリカ人の審判が配置される。他のスポーツの国際大会ではあり得ないだろう。大会32名の審判員のうち、22名がアメリカ人であった。しかもマイナーリーグの審判員である。
第1ラウンドの組み合わせも完全にアメリカに有利なものだった。
さらに、MLB機構主催の大会ながらMLB各球団が大会に対して積極的であるとは到底言えなかった。
他にも開催時期や、利益配分など課題点が多く残る大会だった。
だが、いくつかの問題、審判員や組み合わせの問題がWBCという大会に、日本にとっては忘れ得ない数々のドラマを生む要因となったのは皮肉である。
日本代表としても、決勝ラウンドまでの成績が3勝3敗であることを考えると決して満足のいく優勝ではなかった。
不運もあったが、それ以上に幸運もあった。韓国は決勝ラウンドまで全勝である。この差が2年後の北京五輪の結果を生んだのかどうかはわからないが、日本代表にとっても課題の多い優勝だったことはまちがいない。
「守るのではなく、奪いにいく」というのは、3年後の09WBC前に連覇に向けてイチローが発した言葉である。

 

USA TODAY