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最後の聖戦に向けて
星野ジャパン誕生
2008年の北京オリンピックは、日本球界だけでなく、野球界にとってオリンピック最後の光芒を映し出す舞台となるであろうと思われていた。
実際は13年後の東京五輪で復活を果たすことになるが、野球を愛する者たちにとって、北京五輪へのこの瞬間を、ただの記録として過ぎ去らせることは許されなかった。
星野ジャパンの物語は、そんな切迫した背景の中で幕を開けたのだ。
2007年1月、星野仙一が日本代表監督に就任。
その名はすでにプロ野球界で響き渡り、彼の熱血的な指揮ぶりは多くの者に記憶されている。
しかし、国際大会という新たな舞台で、星野がどのような采配を振るうのか。それは期待と同時に未知数でもあった。
過去の国際大会では、大会直前に急ごしらえでチームが編成されることが常だった。しかし、星野はそれを良しとしなかった。
彼は早期からの準備を求め、各チームを視察し、選手を見極めるための時間を惜しまなかった。しかしながら、現代のような侍ジャパンの強化試合は当時存在せず、準備は細々とした作業の積み重ねでしかなかった。
苦難の選手選考
代表選手の顔ぶれが整い始めるにつれ、幾多の困難が立ちはだかった。小笠原道大、高橋由伸、杉内俊哉── これらの名が戦線から離脱するという知らせは、まるで暗雲のように星野ジャパンの頭上に垂れ込めた。
戦力は明らかに削がれた。
2007アジア選手権予選リーグ
アジア選手権1次リーグには、フィリピン、タイ、香港、パキスタンの4ヶ国が名を連ねた。
その中で1位となったフィリピンが決勝リーグへと進出。ちなみ、タイ代表チームを率いたのは、かつてプロ野球選手だった江本孟紀であり、意外な巡り合わせが話題を呼んだ。
だが、北京五輪への出場権を得られるのは、決勝リーグで1位を勝ち取った国ただ一つ。それを逃せば、日本は翌年、シーズン開幕前の厳しいスケジュールの中で世界最終予選に臨まなければならなくねる。
星野ジャパンは、まさに背水の陣でこの大会に挑んでいた。
星野ジャパンの挑戦と意義
2007年アジア選手権における星野ジャパンの挑戦。それは単なる五輪出場権争いにとどまらない、もっと深い意味を持っていた。
野球がオリンピックという舞台から消え去るかもしれない── そんな現実が突きつけられる中で、日本野球界はこの一戦一戦に未来を賭けた。
星野仙一の指揮のもとで戦った彼らの姿は、単に記録される結果以上の、感情と熱意の塊であった。
日本代表メンバー
監督
77 星野仙一
コーチ
88 田淵幸一
80 山本浩二
72 大野豊
投手
11 川上憲伸(中日D)
13 岩瀬仁紀(中日D)
14 小林宏之(千葉ロッテM)
16 涌井秀章(西武L)
18 ダルビッシュ有(北海道日本ハムF)
19 上原浩治(読売G)
27 藤川球児(阪神T)
28 長谷部康平(愛知工業大学)
60 成瀬善久(千葉ロッテM)
捕手
10 阿部慎之介(読売G)
22 里崎智也(千葉ロッテM)
39 矢野輝弘(阪神T)
内野手
6 井端弘和(中日D)
7 西岡剛(千葉ロッテM)
17 荒木雅博(中日D)
25 新井貴浩(広島C)
39 宮本慎也(東京ヤクルトS)
52 川崎宗則(福岡ソフトバンクH)
55 村田修一(横浜B)
外野手
5 和田一浩(西武L)
9 大村三郎(千葉ロッテM)
23 青木宣親(東京ヤクルトS)
29 森野将彦(中日D)
41 稲葉篤紀(北海道日本ハムF)
基本オーダー
1(二)西岡剛
2(遊)川崎宗則
3(中)青木宣親
4(一)新井貴浩
5(捕)阿部慎之介
6(指)村田修一
7(右)稲葉篤紀
8(左)大村三郎
9(三)森野将彦
決勝リーグ
第1戦
日本vsフィリピン
🇵🇭 0 0 0 0 0 0 0 0
🇯🇵 5 0 0 0 1 4 X 10
(日)涌井、小林宏 ― 阿部、矢野
【本】稲葉1号
決勝リーグ、日本代表の初戦はフィリピン戦。以前の代表チームなら初戦は上原浩治である。だが上原は所属チームでの諸事情により先発から抑えに配置転換されていた。というわけで星野ジャパンでも抑えを任せられ、松坂大輔はメジャー移籍で招集されず、日本代表の先発陣は世代交代を迎えることになった。
フィリピン戦の先発は涌井秀章である。6回を1安打無失点の好投。打線は初回に4番新井の3塁打で先制。阿部、村田もつづき5得点。だがその後は打線がつながらず、5回に稲葉のホームランでようやく追加点を奪う。6回にようやく打線がつながり4得点。7回コールド勝ちとなたった。
第2戦
韓国vs日本
🇯🇵 0 2 1 0 0 0 0 1 0 4
🇰🇷 1 0 0 1 0 0 0 1 0 3
(日)成瀬、川上、岩瀬、上原─阿部、矢野
【本】
決勝リーグ第2戦は大一番の韓国戦。
試合前から波乱が起きる。韓国のスタメンは、一時間前に交換したスタメン表とはまるで違うメンバーであった。だがこれは、あくまで大会前の監督会議で結んだ紳士協定であり、IBAFのルールではプレイボール前に監督同士で交換するメンバーが最終決定ということでルール違反ではない。
ようは韓国にしてやられたのだ。
先発は成瀬善久。初回にホームランを打たれて先制を許すが、2回表に大村三郎のタイムリーで同点。
韓国のエラーで逆転する。3回表には阿部慎之助のタイムリーで2点差をつけた。
先発成瀬は4回に2点目を失い、川上憲伸にリレー。シーズン中ではあり得ないが6回途中から8回までを岩瀬が熱投。最後は上原で締めた。
4対3というロースコアながら試合時間は4時間を超える死闘であった。
五郎もテレビ観戦していたが、観ているこちらも胃が痛くなるような試合だった。
第3戦
台湾vs日本
🇯🇵 1 0 0 0 0 0 6 0 3 10
🇹🇼 0 0 0 0 0 0 2 0 0 2
(日)ダルビッシュ、藤川、上原 ― 里崎
【本】新井1号
最終戦の台湾戦、先発はダルビッシュ有。
勝てば北京五輪出場決定である。
初回に新井のタイムリーで先制。だが6回まで追加点を奪えず、逆に6回裏にダルビッシュは台湾の主砲・陳金鋒に逆転ホームランを打たれてしまう。
直後の7回表、無死満塁のチャンスでまさかの大村三郎のスクイズで同点。そこから打線がつながり大量6得点で試合を決め、北京五輪出場も決めた!
アジア予選、その光と影
日本野球のストロングポイント
たかだか3試合のアジア地区予選。されど3試合。
少ない試合数が醸す緊張感は苛烈であり、1敗の重みが異様なほど際立つ。点を取らなければ勝てないという単純明快な事実に直面しつつ、打線という水物に身を委ねる危うさに、観る者は震えるしかなかった。
特に短期決戦では、打線の計算不可能性が、どれほど優れたチームであっても脅威となる。それゆえ、投手力── これが鍵だと誰もが認識する。今回の大会もまた、それを痛感させる場だった。
投手陣は3試合を通して崩壊することなく、試合をつくり続けた。
先発の安定感は言うまでもなく、継投の妙が際立った。タイミングよく放たれるリリーフ陣の活躍は、まるで熟練の指揮者が指先で奏でる交響曲のようであり、勝利の旋律を確かに響かせた。
星野監督という二面性
男気── この言葉ほど星野監督を端的に表現するものはない。その采配は大胆であり、力強い。しかし、同時にその「男気」は繊細さを欠くリスクも孕んでいる。特に短期決戦では。
アジア地区予選では、この二面性が幸運にもポジティブに作用し、すべてが良い方向へ転がった。しかし、本当にそれだけで良かったのか?
韓国戦での岩瀬の続投── 結果的には成功したものの、それは果たして正解の起用だったのか。
結果オーライの影がちらつく中、当時は誰もが北京五輪での「星野ジャパン」の未来に薔薇色の希望を描いていた。その希望が盲信と化していなかったか── そんな問いが、無意味なことかもしれないのだが、今になって頭をもたげる。
三連勝のフィードバック
三連勝、北京五輪出場権獲得。
喜びに酔うのは当然だ。しかし、勝利の背後に潜む課題に誰も気づいていなかったのか。
「何も考えずに星野ジャパンの明日を希望の風景として眺めていたのではないか?」
という自問は、今だからこそ必要だ。
あの韓国戦の采配は偶然の産物だったのか、それとも必然だったのか。短期決戦の厳しさを称賛する一方で、真に重要な反省点を見逃していなかったか。
光の中に影を見出すこと── それは冷静な目で未来を見据えるために必要な作業だ。
勝利の中に埋もれた課題を掘り起こすことで、初めて次のステージへ進む準備が整う。星野ジャパンの輝かしい未来を無邪気に信じるだけでなく、その未来が確かなものとなるために、問い直すべきだったのではないか。
もちろんこれは結果論であり、翌年の北京での惨劇を知る未来人による提言でしかない。だが、勝利の光をただ称えるだけではなく、その傍らに常に横たわる影に目を向けること。それが未来を紡ぐ最初の一歩である。