1999年アジア選手権ソウル大会
日本代表メンバー
監督 | ||
30 | 太田垣耕造 | |
コーチ | ||
33 | 林裕幸 | |
34 | 野村収 | |
35 | 長崎慶一 | |
投手 | ||
11 | 高橋薫 | →千葉ロッテ |
12 | 森憲久 | |
15 | 石川雅規 | →ヤクルト |
16 | 山田秋親 | →福岡ダイエー |
18 | 松坂大輔 | 西武 |
19 | 杉浦正則 | |
20 | 川越英隆 | オリックス |
23 | 小池秀郎 | 大阪近鉄 |
捕手 | ||
21 | 阿部慎之助 | →巨人 |
22 | 的場直樹 | →福岡ダイエー |
27 | 古田敦也 | ヤクルト |
内野手 | ||
1 | 平馬淳 | |
2 | 工藤賢二 | |
3 | 松中信彦 | 福岡ダイエー |
4 | 高橋賢司 | |
6 | 初芝清 | 千葉ロッテ |
7 | 野村謙二郎 | 広島 |
8 | 沖原佳典 | →阪神 |
9 | 阿部真宏 | →大阪近鉄 |
外野手 | ||
5 | 井出竜也 | 日本ハム |
10 | 梶山義彦 | |
24 | 飯塚智広 | |
25 | 鷹野史寿 | →大阪近鉄 |
26 | 赤星憲広 | →阪神 |
予選リーグB組第1戦
日本vsフィリピン
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | R | |
PHL | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
JPN | 1 | 0 | 0 | 4 | 2 | 1 | 2 | 10 |
(日)杉浦、森、石川─的場
【本】的場
予選リーグB組第2戦
台湾vs日本
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | |
JPN | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 2 | 0 | 3 | 9 |
TWN | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
(日)石川、森、山田─古田、阿部慎
決勝リーグ第1戦
日本vs台湾
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | |
TWN | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
JPN | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 |
(日)松坂─古田
決勝リーグ第2戦
日本vs中国
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | |
CHN | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
JPN | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | x | 3 |
(日)杉浦、山田、川越─古田
【本】田中幸
決勝リーグ第3戦
韓国vs日本
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | |
JPN | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 |
KOR | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 | 1 | 0 | X | 5 |
(日)小池、高橋薫、石川、山田─古田
長い間、野球における国際大会はアマチュア選手の大会であった。キューバが最強を誇ったのも、他の野球強豪国のナショナルチームがアマチュア選手のみであったことが大きい。そんな野球の国際大会が1998年を境に大きく変化する。
IBAF(国際野球連盟。現・WBSC世界野球ソフトボール連盟)はIOC(国際オリンピック委員会)からの五輪へのプロ選手参加要請を受けて、1998年、国際大会へのプロ選手参加を解禁する。同年のバンコクアジア競技大会には日本はアマチュア選手のみで代表チームを編成するが、オールプロの韓国代表に大敗してしまう。この結果に危機感をもったBFJ(全日本アマチュア野球連盟)は、シドニー五輪の予選を兼ねた99年のアジア選手権ソウル大会にプロ選手の派遣をNPBに要請するのである。
こうして日本もプロ選手が国際大会の舞台に立つことになった。だが、8人とはいえペナントレース終盤を迎えたシーズン中であることから、チームごとの温度差は明確になってしまった。
予選リーグ2戦目の台湾は主力を温存したり、決勝リーグでの先発が予想されていた許銘傑(翌年西武入り)を起用するなど心理戦を仕掛けてきていた。だが2試合を危なげなく勝利で飾った日本代表は台湾、中国、韓国との決勝リーグに進む。決勝リーグ上位2チームがシドニー五輪出場の切符を手にすることができるため、2敗したら絶望的である。最終戦の韓国はオールプロチームのため勝ち星を計算できる相手ではない。そのため、初戦の台湾戦は絶対に負けられない試合である。ここでまんをじして松坂大輔の登板である。
球場入り後の開始時間変更、痛めた左大臀筋の影響などをまったく感じさせないピッチングであった。3回に1点を失うものの、9回完投13奪三振である。三振13個のうち8個をクリーンアップから奪うなど台湾の中軸を完璧に封じた。だが台湾先発の蔡仲南も快投を見せた。大一番で隠し玉をぶつけてきた台湾だが、見事にはまったのである。9回まで1対1の投手戦となったが、9回裏に蔡仲南が味方のエラーから崩れてしまう。最後は代打平馬のサヨナラヒットにより日本代表は劇的な勝利をおさめた。
翌日の中国戦に勝利した日本はシドニー五輪出場権を得た。最終戦は韓国戦である。国際大会において日本は韓国に五連敗中であったが、それでも太田垣監督は勝利よりも経験を優先し、アマ選手を多く起用した。それが裏目に出たのか逆転負けを喫する。対韓国戦六連敗となった。この結果がシドニー五輪に影響を及ぼしたかどうかはわからない。もしかすると経験を積むべきはプロ選手の方だったかもしれない。
出せ!小さくたって大声を。