侍J強化試合:ニッカン
令和5年3月7日の日刊スポーツ。
大学代表がヨーロッパを放浪して、パリでオリンピックがパラパラし、南海トラフが「そろそろ行くぞ」と肩を鳴らしているこの列島の片隅で、わたしは侍ジャパン新聞を久しぶりに開く。
すべてが地鳴りのように混ざり合い、空気がざらついている。だがそのざらつきの中心に、侍ジャパンが立っている。
いや、正確に言えば、大谷翔平という異物が立っている。
WBC開幕直前。
MLB組が帰ってきた。
アメリカの砂塵をまとい、重力を無視する筋肉と倫理を携えて。
彼らが宮崎に降り立った瞬間、南九州の空気が震えた。飛行機雲が垂直に立ち、鶏が怯え、商店街の空気がざわついた。
あれはもう合宿ではない。召喚だった。
わたしに金と暇があれば、あの宮崎から始まる侍の巡礼に同行したい。
宮崎→名古屋→大阪→東京。
あの軌跡は、まるで野球版の熊野詣である。
神に会うために移動する。
神とは大谷であり、侍であり、つまり野球そのものだ。
いつか実現したい。南海トラフが来る前に。

一面にデカデカと踊る文字──「大谷ってすげえ」
これは人類最後の祈り文句だ。
この言葉が、後の栗山監督の「野球ってすげえ」へと進化したのか、はたまた終末預言に変じるのか、それは誰にも分からない。
分からないけれども、確かなことがある。京セラドームの空に吸い込まれていった、あの片膝ホームラン。
片膝をつき、右手一本で、バックスクリーン右。
常識を焼却し、物理法則を粉砕し、神話の更新ボタンを押した。
あれを「強化試合」と呼ぶのは人間の傲慢である。
あれは啓示だ。
伝説は試合を選ばない。
伝説が起こった瞬間、そこが聖地になる。

日本代表というチームの奇妙な在り方を思う。
アメリカのように筋肉が暴力で支配するでもなく、ドミニカのように陽光がリズムを生むでもない。侍ジャパンは「共同体の修行」で世界に挑んできた。
合宿という名の祈祷。
守備練習という名の座禅。
打撃練習という名の荒行。
だが、今や時代は変わった。
主力のMLB組はギリギリで帰ってきて、ぴたりと合う。呼吸のようにフィットする。
それはもはやチームではない。
野球という概念そのものが自己増殖しているのだ。
個の力が強くなった?
そんな言葉では足りない。彼らは「個」でありながら、「祈り」でもある。バットを構え、風を切り、空を裂く。感慨とはこの世の感情の中で最も静かな爆発だ。
そしてわたしは思う。
もしこの国が沈んでも、きっと誰かが言うだろう。
「大谷ってすげえ」と。
それでいい。
それが、この時代の鎮魂歌だから。