WBC2023決勝:ニッカン
令和5年3月23日の日刊スポーツ。
さて、どういうわけか、あの伝説になったWBC2023のスポーツ新聞コレクション、というほどのものでもないが、気づけば第5回WBCも決勝まで来ていたのだ。
来てしまっていたのだ。
決勝進出。
という単語を発音するたびに、舌の奥で鈴が鳴る。ちりん。ちりん。それはもう五連休とかそんなレベルじゃなくて、地球が一瞬だけ平和になったレベルの音だ。
準決勝敗退?それはつまり人生そのものだ。だいたい人間なんて、準決勝で負けて泣きながら次の日に出勤してる生き物じゃないか。
でもこの時ばかりは違った。勝った。勝ってしまったのだ。

一面には当然、大谷翔平である。
優勝トロフィーを掲げる男。
圧倒的。圧倒的という言葉が安っぽく聞こえるほどに圧倒的。イチローもそうだった。画になる。いや、画にされるためにこの世に生まれたみたいな人間。
神様、野球の神様、あんた、ずるいよ。

そして当然のように優勝だから見開きである。紙面をバッサリ真っ二つにして、そこに夢が横たわっている。
3月9日から22日まで。たったそれだけの時間。でも「夢の時間」とはそういうもんだ。終わった瞬間に現実が腐臭を放ち始めるのです。
それでも俺たちはスポーツ新聞を保存するのです。
押し入れの奥に。
神棚の下に。
それが供養であり儀式なのだ。

そして栗山監督。あの男。
まるで「理性を持った詩人」みたいな顔しているが、実際は“あちら側”の人間だろう。
だって、ラーズ・ヌートバーを呼んだのだ。ヌートバーだぞ?ヌートバー。名前からしてもう勝っている。
光とガムと青春の混合物みたいな男を、日本人に紹介して、みんなが「ヌー!」って叫びながら泣いてる。
国とは何だ。血とは何だ。魂とは何だ。もはや誰も答えられない。
ただひとつ言えることは、日本国民とラーズ・ヌートバーの邂逅は戦後最大の握手だった、ということだ。

なかなか大胆な配置である。
この抱擁。ダルビッシュと大谷。抱きしめ合う。ドーンと縦にブチ抜きで。
おい、レイアウト担当、グッジョブ。
なんてステキな写真なんだ。神様、またしてもずるい。

栗山勇退。
正直言うと、どうせ続投するだろうと思っていた。いや、続けてくれと願っていた。だが本当に辞めてもうた。本当に辞めてしもうた。
人は本当に辞めるのである。
それが人生というものなのだろう。

それにしてもこの大会はドラマだらけだった。
大谷翔平の二刀流。
ヌートバーの召喚。
ダルビッシュの帰還。
吉田正尚の参戦。
そして、村上宗隆の復活ホームラン。
あれだ。神話だ。
「トップチームのユニフォームを着てプレーすることを目標に、ずっと自分の野球人生を進めてきた」と、優勝後に吉田正尚は語った。

村上宗隆。同点ホームラン。
あれはもう、人類の祈りの成就だ。準決勝で泣かせて、決勝でも打って、お前はもう何なんだ。神か。いや、神はもっと静かな方だろうさ。知らんけど。
でもいい。誰も文句は言わない。文句を言うやつは今すぐバッターボックスに立ってみろ。160キロの夢が飛んでくるぞ。

今後は使用禁止のコピー。

だがしかし、である。
終わってみれば、最後の最後でケチがつく。山川、源田、そしてもう一人、名前も出したくない男。
なんでこうなるんだ。
せっかく夢だったのに、あと味がぬるいポカリみたいになってしまった。
そういうのが一番腹立つ。だからもう一枚、オマケを出す。現実を上書きするためのオマケである。

オマケのスポニチの一面。
ゲームセット直後のマウンド。砂が光り、時間が止まる。そして俺たちは思う。
「これは現実だったのか?」
──そうだ。
現実だったのだ。三月九日から二十二日までの、あの狂った夢。
その夢を見られたことこそが、俺たちの、最大の勝利だったのだ。
そして俺たちは、テレビの前で固まったまま動けずにいる。あの日のまま。夢のまま。現実に戻れず、新聞をめくる。
これが、我々の厳かな儀式。