プレミア12 台湾上陸:トーチュウ
ありがたい。実にありがたい。ありがたさが滲み出ているのはやはり東京中日スポーツである。
新聞が感謝の対象になるというのも奇妙な話だが、他紙が「どうでもいい芸能人の結婚」だの「新作スイーツ特集」だのに現を抜かす中で、移動日でもなお侍ジャパンを一面に据えるその執念。
いや、正確に言えば侍ジャパンというか高橋宏斗なのだが。むあいい。侍というより孤高の武士。東海道を一人歩む影法師。
それを見て俺は思うのだ。ああ、井端監督で良かったなあ、と。
あの温厚で、しかし芯に冷たい鉄のような光を宿す男が采配を振るっている。
それだけで、なんだか世の中がまだギリギリ正気を保っている気がしていた。
だが、もう今はそれもない。
朝刊をめくる手が、ちょっとだけ震える。秋の乾いた空気のせいか、それとも時代のせいか。
ってえことで本日紹介のスポーツ新聞。

見出しは「韓国圧倒」
おい、待て。まだ戦ってもいないだろうが。
その言葉だけで紙面が一人歩きして、すでに韓国を三タテでもしたような気配を放っている。どこで圧倒したのか。心の中でか? 夢の中でか? 幻影のスコアボードでか?
まるで「韓国圧倒」と印字した時点で勝利が保証されるような錯覚。ああ、文字の暴力。言葉の呪詛。印刷機の中で回転するインクの魔力。
だが現実は移動日である。
選手たちは飛行機の中でスナックを食べているかもしれない。
高橋宏斗は窓の外の雲を見ながら、自分がなぜ一面を飾っているのか理解していないかもしれない。
それでも紙面は彼を一面に載せる。なぜか。ネタが無いからだ。
そう、ネタが無い。
すべてはその一言に尽きる。
だがネタが無いからこそ、新聞は詩になる。ネタの無さを一面に刷り込んで、それでも「侍ジャパン」と叫ぶその愚直さ、紙面の自己犠牲。もはや信仰である。
侍ジャパンはこの日、一面にだけ存在した。
現実ではなく、紙の上でだけ。
だがそれでいい。
野球とは、いつだって紙と幻のあいだにある夢みたいなものなのだから。