くたばれコロナ!とりあえず小さくたって大きな声で叫ばなければ気がすまぬ。昨日も今日も。
五郎が最初に「週刊ベースボール」で侍ジャパン、すなわち野球日本代表、いわば全日本の記事を読んだのは、1984年8月のロス五輪で金メダルを獲得したときである。
そのときは表紙を飾ったわけでもなく、特集というほどの記事でもない、ささやかだけれども熱い記事。そんな感じであった。
当時の全日本はプロ選手ではなくアマチュア選手のみであったので、たとえオリンピックで金メダルをとっても表紙を飾る、ということはなかった。
その後も全日本はソウル五輪、バルセロナ五輪、アトランタ五輪に出場し銀メダル、銅メダルを獲得するが、やはり数ページの記事だけの扱いであった。最初のロス五輪の記事は切り抜いてスクラップしたのだが、それ以降、全日本の記事を見つけたら買って、読んで、切り抜いてスクラップする、という習慣が出来上がった。
現在も継続中である。
以前は全日本が記事になるのはオリンピックぐらいであったが、プロ選手がオリンピックに出場するようになってからは飛躍的に増えたのである。おかげで大変である。
ロス五輪以前の記事はまだ読んだことがない。たぶんそんなにはないと思う。1980年のワールドカップには原辰徳や石毛宏典などが出場していて、日本開催ということもあるので記事があるかもしれない。ものすごく暇になったら探索してみるつもりだ。
ほとんどこんなことをしようと考えている人はいないだろうけど、今後、侍ジャパンが表紙を飾った「週刊ベースボール」や「ベースボールマガジン」、「Number」などを集めたい、過去にさかのぼって読んでみたい、でもどれくらいあるのかわからない、何があるのかわからない、だから困ってます、という稀有な人がいたら、仮にいたら、そんな人の手助けを是非ともしたいわけであります。収集の参考になれば幸いである。
「週刊ベースボール」史上初の全日本が表紙になった号(たぶん)。前年のアジア地区予選では表紙にはならなかった。プロ選手の松坂大輔や中村紀洋だけでなく、ミスターアマチュアの杉浦正則も表紙を飾っている。
この号は五輪開幕前の展望号なのだが、プロ・アマ混合全日本で臨み、オリンピック史上初のメダルなしという結果に終わると、総決算号としてふたたび表紙となることはなかった。「週刊ベースボール」といえども、メディアはシビアである。
前回のオリンピック・アジア地区予選は松坂大輔と古田敦也のバッテリーという、かなりの話題性のある大会であったが、表紙にはならなかった。
だが4年後はオールプロの日本代表となり、さらには監督が長嶋茂雄、さらに日本・札幌開催ということでめでたく表紙となった。表紙は幕張の防波堤から日本の防波堤へと昇格した守護神・小林雅英と司令塔・城島健司である。
アテネ五輪開催年の1月早々に展望特集である。
表紙には松坂大輔、上原浩治、城島健司、宮本慎也が選ばれている。過去のオリンピックのまとめと、他の出場国の戦力分析、主将・宮本慎也インタビューなとが掲載されている。
オリンピックとは関係ないが、高校生のダルビッシュ有が取材を受けている。
アテネ五輪日本代表24選手が決定して、オリンピック開幕前の特集である。
表紙には松坂大輔、和田毅、城島健司、中村紀洋ら四人が選ばれているが、中村ノリだけシドニー五輪の写真である。
和田毅、高木豊コーチのインタビューが掲載されている。日本球界が一丸とならねばならぬときだが、それとは別に球界再編で大揺れだったことがよくわかる。
アテネ五輪開幕直前展望号である。
表紙には松坂大輔、中村紀洋、宮本慎也、高橋由伸が選ばれた。他の出場国の最新情報に、松坂大輔、中村紀洋のインタビューを掲載。やはり球界再編問題で揺れている。
大会期間中は表紙になることはなく、結果も銅メダルと不本意なもので、総決算号として単独表紙にはならなかった。2004年9月6日号は日本代表の松坂大輔と読売の工藤公康が表紙なのだが、日本代表の特集感が薄いので掲載しなかった。
次回は「週刊ベースボール」2006WBC編である。
一人一人がそれぞれの場所で踏ん張るんだ!がんばらない!怠けないこと!
そんな感じで。