1986年の西武ライオンズと広島東洋カープの日本シリーズは、史上初の第8戦までもつれこむ激戦となり、8戦目の西武ライオンズの勝利によって幕を閉じた。西武ライオンズは3年ぶりの日本一となり、ここから3連覇を果たすことになる。
だがこの年の日本プロ野球はまだ終わりではなかった。
日本一決定から間もない、10月30日から宮崎県で野球日本代表の、すなわち侍ジャパンの合宿がはじまったのだ。
もちろん、11月9日に後楽園球場でのアジアラウンドから幕を開ける、ワールド・ベースボール・クラシック1986に出場するためである。
この年は従来のシーズン開幕前の3月ではなく、MLBのワールドシリーズとプロ野球の日本シリーズ終了後の11月にWBCは開催された。
という仮定のもとに、1986年の侍ジャパンを空想してみたわけである。1986年に設定したのは、4年ごとの開催でさかのぼっていき、2006年からちょうど20年前でステキかな、なんて思ったから。
秋の開催にしたのは、まあ、あの怪物ルーキーをメンバーに入れたかったから。
WBC2023の侍ジャパンのメンバー予想をしている途中で、急に思い立ちはじめたらWBC2023よりも楽しくなってしまって。WBC2023のメンバー予想は後まわしになってしまって。そちらは近日中にアップします。
1986年開催のWBCも、基本的なルールなどは同じとして、登録人数は現行の28人。振り分けは過去の大会を参考に投手13人、捕手3人、内野手7人、外野手5人とした。
WBC1986 侍ジャパン
監督
広岡達朗
投手
北別府 学(広島C)
山田久志(阪急B)
渡辺久信(西武L)
村田兆治(ロッテO)
川口和久(広島C)
工藤公康(西武L)
佐藤義則(阪急B)
牛島和彦(中日D)
鹿取義隆(読売G)
星野伸之(阪急B)
大野豊(広島C)
石本貴昭(近鉄B)
津田恒美(広島C)
捕手
伊東 勤(西武L)
田村藤夫(日本ハムF)
達川光男(広島C)
内野手
清原和博(西武L)
篠塚和典(読売G)
落合博満(ロッテO)
石毛宏典(西武L)
高橋慶彦(広島C)
高木 豊(大洋H)
松永浩美(阪急B)
外野手
真弓明信(阪神T)
秋山幸二(西武L)
吉村禎章(読売G)
石嶺和彦(阪急B)
平野 謙(中日D)
監督は前年に西武ライオンズの監督を勇退した広岡達朗とした。良くも悪くも、70年代から80年代のプロ野球監督を体現した存在のような気がするし、この時代にメジャーリーガー相手に勝利を掴むには、やはり黄金期の西武ライオンズ野球しかないのではないかとも思った。それなら森祇晶でも良いのでは、と悩んだのだが、経験値で広岡達朗を指名した。
投手陣は先発三本柱に北別府学、山田久志、渡辺久信を選出した。ベテラン、中堅、若手の三人でバランスよく構成した。山田久志は野球日本代表の伝統であるアンダースロー枠でもある。
ロングリリーフもできる第2先発陣には村田兆治、川口和久、工藤公康を選んだ。前年に肘の手術から見事にカムバックした村田兆治は個人的なロマン枠である。代表チームはロマン必須だと思っている。マサカリ投法でメジャーリーガーに真っ向勝負を挑む村田兆治、見たいじゃないか。
中継ぎ陣には前年最多勝だが、抑え経験もある佐藤義則に牛島和彦、鹿取義隆。さらに緩急でゲームの流れを変えられそうな星野伸之、なんでも屋の役割を任せられる大野豊。抑えはダブルストッパーで、左の石本貴昭に右の津田恒美。津田の豪速球で是非ともメジャーリーガーのバットをへし折ってほしい。
捕手は伊東勤に田村藤夫。サポート役に達川光男を選んだ。もしも達川が日本代表のユニフォームを着てメジャーリーガーに相対していたら、昭和野球史の重要な1ページとなっていただろう。
内野手は、やはりこの男を選出する欲望を抑え込むことはできなかった。怪物ルーキー清原和博である。秋開催にしたのはこのためである。さすがに春では1軍デビュー前なので無理があると思ったのだ。一塁に清原和博、二塁に篠塚和典、三塁には当然のことに前年三冠王の落合博満を置き、遊撃手は86年MVPの石毛宏典とした。二塁は辻発彦と篠塚で迷ったが、辻にすると西武ナインが多いなあ、という理由で篠塚にした。
内野のバックアップメンバーには高橋慶彦、高木豊、松永浩美を選出した。とにかくスピードのある選手を選んだ。高木豊と松永浩美は外野も守れるのが大きい。というか松永浩美はむしろ外野手として選んでる。
最後に外野陣。まずは中堅にメジャーに最も近い男と言われた秋山幸二。秋山がこの時代のWBCに出ていたなら、とは誰もが思うのではないか。次は左翼に松永浩美。松永は内野手だが、元々は外野手なので大丈夫だろう。プロ野球史上最高のスイッチヒッターと言われる選手である。右翼には超攻撃的1番バッターの真弓明信。この三人は内野も任せられる頼もしい男たちだ。
バックアップメンバーに吉村禎章と平野謙。指名打者には石嶺和彦を選んだ。
スタメン
1(中)秋山幸二
2(遊)石毛宏典
3(左)松永浩美
4(一)清原和博
5(三)落合博満
6(指)石嶺和彦
7(二)篠塚和典
8(捕)伊東勤
9(右)真弓明信
さて、このメンバーで侍ジャパンはどこまで勝ち抜けるだろうか。アジアラウンドを勝ち進み、アメリカやドミニカ共和国が待つ2次ラウンド、そして決勝ラウンドに進めるだろうか。この時代はキューバも相当に強い。決勝までいけるだろうか?昭和のプロ野球が世界にどこまで通用したのか、考えるだけでときめくじゃないか。
というわけで、次回は平成初期の90年代編。
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