長嶋茂雄さんが永眠された。
昨日、訃報を目にしたときには自分でも想像していた以上に、ポッカリと心に穴が空いた感じになった。
哀しい、というものでもなくてそこに収まっていたはずのものが突然に消えてなくなり、たぶんそこに何かを埋めることは永遠にないんだろうな、ということだけはわかった。
現役時代をリアルタイムで見ていないし、最初の監督時代の記憶もない。まずは「ヘイ、カール!」とか言ってたテレビの人だったわけで、野球人としては90年代の巨人の監督なわけである。
国民的行事の10・8決戦。
メークドラマ(メイクではなくメークというのが良い)
不思議な空気を与えてくれる人。
そして、アテネ五輪野球日本代表監督。
スポーツ新聞ではないのでどうしたものかと思っていて、残念ながら長嶋ジャパン関連のスポーツ新聞は持ってないので、今回出してみた。
アテネ五輪アジア地区予選は札幌ドームで開催されたので、北海道のみで刷られたものらしい。
長嶋ジャパン、日本野球史上初のオールプロ選手による日本代表結成。まさにドリームチームだった。
MLB組不在の国内組のみの代表チームでは歴代最強ではないかと思う。
松坂大輔と上原浩治の日本代表Wエース。
この時代の日本代表は大会初戦を上原浩治、大一番で松坂大輔、というパターンが多かった。
五輪行き切符2枚を4チームで争うわけだから、他の競技の予選大会に比べれば緩い。でもそれでも出場国が少ない故に負けられないのである。
実際、台湾に負けた韓国は五輪出場を逃しているのである。
韓国代表には翌年から千葉ロッテでプレイする李承燁がいて、台湾代表には後にヤンキースで最多勝をとる王建民がいる。
御存知のとおり、このアジア予選を全勝で勝ち抜きアテネ五輪出場を決める長嶋ジャパンだが、翌年の3月4日、日本球界に激震が走る。