侍ジャパンと、ユニフォームと

野球日本代表、すなわち侍ジャパンのユニフォームなどに関する二、三の事柄。日本代表ネタ、国際大会ネタがないときは野球カードでつなぎます。お許しを。

侍ジャパンシリーズ2025 韓国代表戦 オープニングセレモニー

侍Jシリーズ2025 オープニングセレモニー

 

11月15日(土)

18時頃 セレモニー開始

来月、それは来月のことである。

だけども、もうすでに空気はざわついている。風が、なんだか知らないけど、ソワソワして。誰もまだ何もしていないのに、世界のほうが勝手に準備運動を始めている。

 

「侍ジャパンシリーズ2025 韓国代表戦」

野球日本代表強化試合、その試合が始まる前、つまりまだ始まってすらいないその前に何かが始まってしまうのである。

それが「KANTO BUSAN UNITYS(カントウ・プサン・ユニティーズ)」だ。

カントウ! プサン! ユニティーズ! 口にするだけでリズムが生まれる。もう名前からして踊ってる。もうこの時点で、勝手に祭りである。

 

全国制覇の水戸葵陵高校の書道部。筆達者な若者たちが、筆をふるう。筆がしなる。墨が飛ぶ。飛んだ墨が空中でカラスになって鳴く。「アーッ!」って鳴く。そういう幻聴が聞こえる。

そこに、武南高校シャケの母校、宝仙学園、実践学園という、ダンスの覇者たちが突っ込んでくる。

ドンッ! バンッ! ズザァッ!

音の洪水! 動きの津波! 人間がリズムになって走り回る!

そこへさらに韓国釜山の若者たちが、その渦に加わる!

加わるどころか、もう爆発する!

筆が走り、足が跳ね、汗が空に散って虹になる。韓国語も日本語も混ざり合って、言葉が燃え上がり、意味が灰になる!

勝手にそう思ってる。

 

これは書道か?いや、舞踏だ。

これはダンスか?いや、書である。

いやもう、どっちでもいいじゃないか。

美しいなら、それでいいじゃないか。

 

文化が混ざり、言語が崩壊し、国境が消え失せ、最後に残るのは「友情」という名の、少し恥ずかしいけど誰もが本当は求めているやつ。

ライバルであり、仲間であり、なんならもう、同じ人類。

 

──来月、このようなパフォーマンスが行なわれるそうです。

行なわれるというより、起こるそうです。

地震のように。雷のように。もう、止められない。

 

そう、「KANTO BUSAN UNITYS」は芸術ではない。儀式だ。

スポーツとアートと青春と国境と、すべてを混ぜてミキサーにかけてぶっ飛ばした結果の、奇跡的カオスだ。

 

──来月、空が揺れる。筆が叫ぶ。体が踊る。そして、あなたの心が震える。

その瞬間、たぶん世界は、少しだけマシになる。知らんけど。

 

 

 

11月16日(日)

18時30分ごろセレモニー開始

 

その歌は、まだ夜の奥に響いている。

昨年11月の「プレミア12」で戦った侍ジャパン。その汗、その沈黙、その瞬間のきらめき。

それらをすべて受け止め、音に変え、心臓に打ち込むようにして作られたドキュメンタリー映画──「結束、その先へ~侍たちの苦悩と希望~」

その映画が今年の二月に公開され、観た者たちは皆、胸の奥をぐしゃぐしゃにされながら、「これが人間か」「これが日本代表か」と呟いた。

 

そして来月、その魂が再びスタジアムに帰ってくる。

歌う男の名は、高橋優。

ギターを抱え、言葉を武器に、長年、侍ジャパンを支えてきた男だ。

彼が、オープニングセレモニーに現れる。

そして、あの曲──「青春の向こう側」を生きた音で鳴らす。

 

青春の向こう側。

その言葉を口にするだけで、何かが疼く。

試合前の空気の中で、選手たちの息づかいと、観客の心臓の鼓動と、音楽が混ざり合い、ぐしゃっとひとつになる。

ああ、これはもう歌ではない。

儀式である。祈りである。

過ぎ去った青春と、まだ見ぬ未来の、その狭間に立つ人間たちへの賛歌である。

 

高橋優が弦を鳴らす。

声が伸びる。風がざわめく。

観客が、少しだけ泣く。

選手が、少しだけ笑う。

スタジアムが、世界で一番大きな心臓になる。

 

──それが、オープニングセレモニーで起こる。

いや、「起こる」というより、「燃え上がる」と言った方がいいだろう。

侍ジャパンの魂と、音楽と、観る者すべての感情が一つになる瞬間を、ぜひ、目撃してほしい。