侍ジャパンの決勝ラウンド進出が決まった。すなわち、もう、残すところ、あと2試合しかないということである。
早くないか?
まあ、楽しい時間は早い。いつだってそうだ。
以前は1次ラウンド、2次ラウンドはともに4チームずつのリーグ戦だから3試合ずつの計6試合あったわけだが、今回は1次ラウンドの各プールが5チームとなって4試合になり、2次ラウンドがなくなり準々決勝の1試合だから計5試合となった。
まあ減ったのは1試合だけなんだけど、それでもなんだか、あっ、という間。な気がします。
WBCという大会、色々な議論がある。
ぼくの個人的な考えでは、プロ野球のレギュラーシーズンというのは日常的な存在で、暮らす毎日、流れの日々と並列にある時間だったり、空間だったりする。一方で、WBCをはじめとする国際大会というのは非日常の祝祭的時間であり、空間である。
意見・考えは色々あるのが当たり前で、むしろそうあるべきだと思うわけだが、国際大会という2週間前後の非日常に日常的視点を持ち込むのは禁忌だと思っている。
完全に切断して考えることはできないだろうが、非日常の時間と空間では、くり返す毎日のことなど完全に忘却の彼方に置いてしまいたいのだ。
なにが言いたいのか、わかる人にはわかると思う。
電光掲示板、という表現は古いのだろうか?よくわからないのだが、もっと東京ドーム周辺にフェスティバル感があってもいいと思うのだが。
それこそが祝祭的空間である。
準々決勝となり、キューバが追加された。もちろんイタリアもあるが、見切れた。
まあそうだろうさ。でも記念に撮っておいた。
このような、21世紀的な、とか言ってる時点でダメなことはわかっているのだが、とっても巨大なポスターとかはダメだろうか?
イタリア戦は初観戦となります。
これまでは韓国戦かオランダ戦ばかりを見てきました。たまたまだけど。
侍ジャパンの円陣を上から。声出しはヌートバーだったのかな?
ダルビッシュ有!
あなたを見るためにわたしはここに来た。
キューバ、オーストラリア、イタリア、日本。こういう感じは国際大会!って感じでいいね!
大谷翔平!大谷翔平!大谷翔平
投げる大谷翔平!
そして、ダルビッシュ有!
日本での、侍ジャパンでの登板はこれが最後になるかもしれないと語っていた。
人知れず泣いた。涙が止まらなかった。
マウンドに向かうダルビッシュ有。
人知れず泣いた。涙が止まらなかった。
ありがとうダルビッシュ有!
人知れず泣いた。涙が止まらなかった。
打つ大谷翔平。
ご存知のとおり、侍ジャパンは快勝!
第1回大会から、5大会連続で決勝ラウンド進出!この偉業は日本だけである。
行くぞマイアミ!待ってろマイアミ!
あ、もう侍ジャパンはマイアミに着いたのねん。
もちろん二刀流・大谷翔平である。とにかく侍ジャパンの大谷翔平を見たかった。二刀流での大谷翔平を見たかった。それが叶ったわけである。
だが、それ以上に、やはり自分はダルビッシュ有を見たかったのだとこの日、確信した。
魂の27球を見て、確信した。
6日前の韓国戦を見に行ったときは、久しぶりにダルビッシュ有を、しかも侍ジャパンのダルビッシュ有を14年ぶりに見ることが出来る、という悦びで胸がいっぱいだった。
それが、一週間もしないうちに、これが最後かもしれないという切ない感情に変わってしまった。
今回のWBCに大谷翔平が出場する、それはそうなるんじゃないかと、なんとなく思っていた。だが、ダルビッシュ有が参戦するとは考えもしなかった。
一時期のダルビッシュは、国際大会には関心がないような発言をしていたと思う。残念だなあと思ったが、まあそれは人それぞれの考えなので、代表参加はもちろん強制でも義務でもないし。
それがまさかのWBC参戦。
だけど今回のダルビッシュ有の言動で感じたのは、WBCへの参戦より、侍ジャパンの一員として約1ヵ月の間、若手選手と過ごすことに重きを置いていたのではないだろうか、ということだ。
実際はどうなのか知らないが、WBCという国際大会を通じて、日本の有能な若手選手への伝道師という役割を請け負ってくれた。なんて素晴らしいことなんだろう。
そんなことを帰りの電車の中で考えた。