侍Jの歴史・記憶
準決勝に弱い侍ジャパン。
WBSCプレミア12という大会の存在意義を改めて議論すべきだと思うのだが。
コロナ渦の現在は妄想オリンピック、妄想侍ジャパンで楽しむのだ。
懸河のドロップ、カッコいいよね。大きいカーブはふたたびドロップと呼ぼう運動実施中。
日米ともに代表チームのユニフォームでやればもっと楽しいのになあ、なんて。
侍ジャパンの歴史やユニフォームに関する記事が現在に追いつきそうなので、思い切って遡ってみたんだよ。
行けたら、行け、責任はわたしが取る。と言われてもいつも大した責任ではない。グリーンライト万歳!
メジャーリーガーが参加する唯一の国際大会なのに。それなのに。
今までで一番、東京ラウンドのチケットを買うのが大変だったWBC。それはどういうことかというと、まあ、そういうことだ。
侍ジャパンの宮崎合宿の時点で異常な熱量を帯びていた。今、こんなエネルギーを野球ファンと共有できるプレイヤーはいるだろうか?今こそ必要なのだが。
北京五輪のハイライトはやはりソフトボールの金メダル!号泣しました。
こんなときだからこそ、頑張るんじゃない。怠けないこと。
WBCの最大の課題は決勝、準決勝あたりが日本人には生中継ではなかなか見られないということだ。仕事中だっつうの。
ワールド・ベースボール・クラシック、アメリカ人のネーミングセンスってシンプルだけどカッコいいのよねえ、って当時思った。
チョー気持ちー、が飛び出たね。凡人には一生得られない気持ちよさだろうね。五郎は五輪に出ただけでチョー気持ちよかろう。
タイガースが18年ぶりにリーグ優勝したり、松井秀喜がメジャー挑戦した年。日本代表はドリームチームでアテネ五輪出場を目指した。僕は僕としていつもどおりの明日を目指した。
侍ジャパンの過去バナ。Qちゃんとか、柔道の誤審とか、色々あったよ。僕も色々あったよ。何もない日々なんてないんだよ。
この年の怪物ルーキーの松坂大輔と、球界最強捕手古田敦也が参戦した大会。野球オリンピック史第2章のはじまりである。
だから野球日本代表、いわば侍ジャパンの今は昔。過去の思い出。美しい思い出。麗しき野球オリンピック史第1章完結編。
今回は野球日本代表、それって侍ジャパン?の過去バナ。今まで生きてきた中で一番幸せです、が飛び出たね。
今回も過去の野球日本代表、ようは侍ジャパンの昔話。野茂や古田や渡辺智や潮崎や野村たちの昔話。でもやっぱバサロ泳法!
野球日本代表、すなわち侍ジャパンのずっと前の話。ロス五輪の話。骨折しながら金メダルを取ったレジェンドの話じゃないよ。