青木宣親の引退試合を見た。BSで。
このブログではあまり表には出さないが、わたしは埼玉西武ライオンズファンである。今シーズンは歴史的低迷のシーズンで、何かとイラッとする一年を過ごさせていただいたのだ。
でもまあ、プロスポーツの良いところは今年ダメでも来年があるさ、と思えば乗り切れないこともないところで、シーズン終盤ともなると、少しずつ気持ちが楽になっていくのである。
こんなシーズン、ペナントレースとは無縁のシーズンの唯一の利点は、心置きなく引退試合を開催できることである。この点、レギュラーシーズンにおいて引退試合を実行することの是非は議論の対象となるのだろうが、このブログでは対象外である。
だから、というのも失礼だが東京ヤクルトスワローズもペナントレースからは早々に脱落した身なので、青木宣親引退試合を悔いなく開催することができたわけである。
なんだけど、とても引退する選手のバッティングではなかったのである。引退試合で長打を含んだマルチヒット。いや、さすが日米通算2730本安打。引退試合といっても青木はフル出場だし、スワローズはみんな背番号23という以外は特別なことはない。これはCS出場の可能性を残していた広島カープもやりやすかったのではないか。
試合後の引退セレモニーでは、侍ジャパンで共闘した岩隈から花束ご贈られ、ダルビッシュとイチローからはビデオメッセージが届いた。感涙。
さて、2003年の第31回日米大学野球選手権への出場が、青木宣親の日本代表デビューである。
同年のドラフトでプロ入りし、プロ2年目でイチロー以来となるシーズン200本安打を達成。2006年の第1回WBCでトップチームデビューを果たす。
そこから2009年まで毎年、日本代表に招集され、第2回WBCでは連覇を果たした。
2017年の第4回WBCには、唯一のメジャーリーガーとして参戦。精神的支柱としてチームをまとめた。
2006年の第1回WBCでは、前年にシーズン200本安打を達成したとはいえ、イチロー、福留、多村を擁する日本代表外野陣に割って入ることは叶わず代走などでの出場がメインだった。
そんな青木が北京五輪を経て、第2回WBCでは堂々の打線中軸を任され、大会ベストナインにも選出されて連覇に貢献する存在となった。
2012年にMLBに挑戦しメジャーリーガーとなった青木は、2017年の第4回WBCで代表復帰を果たす。第3回WBCではMLB組の参戦はゼロとなり、第4回もそうなるのか?という空気だったが、青木はチームリーダーとして戻ってきた。
侍ジャパンのドキュメンタリー映画「あの日、侍がいたグラウンド」を見ると、チームを引っ張る青木の成長した姿がよくわかる。
WBC2006ではオマケのような存在だった青木が、11年後のWBC2017では、かつてのイチローのような存在でチームを鼓舞していたのである。
この姿は、6年後の第5回大会ではダルビッシュに受け継がれていた。素晴らしいことだ。
ありがとう!青木宣親!
青木宣親 日本代表経歴 (カッコ内は背番号)
2006年 第1回WBC(23)
2007年 北京五輪アジア地区予選(23)
2008年 北京五輪(23)
2009年 第2回WBC(23)
2017年 第4回WBC(7)