東京五輪決勝 アメリカ戦
令和3年8月8日のデイリースポーツ。
1996年アトランタ五輪のあの日、我らが侍どもが銀色のメダルを首から下げて「次は金だ」なんて抜かしてから、金どころか決勝にすら進めんくて幾星霜、光陰矢の如し、月日は百代の過客にして、ようやく辿り着いた東京五輪決勝戦。
この国、日本という場所は、どうにもこうにも五輪という看板に目がない。野球の神様が呆れて雲の上でパジャマパーティーズの歌を歌唱するほどに、五輪への執着が凄まじい。
WBC? あんなもんは小洒落たシャンパンの泡みたいなもんだ。
五輪は違う。泥水すすってでも毟り取るべき、呪じみた「念」の塊なのだ。
ましてや自国開催。稲葉監督の背中にのしかかった重圧たるや、富士山を逆さにして肩車するようなもんで、想像しただけで胃袋が裏返って口から飛び出しそうだ。

実は白状するが、私はこの決勝戦、半死半生の体たらくで眺めていた。
意識の混濁、脳漿の沸騰、眼球はどっか遠くの銀河系を彷徨い、ただ「決勝だけは、これだけは拝ませてくれろ」と念仏のように唱えながら、生中継の光を網膜に焼き付けていたのである。
記憶は皆無。正気は喪失。翌日のスポルツ新聞を買いに行くことは許されず、後日、かなりの月日が経過した後に、慈悲深い御仁から譲り受けた始末。
情けない。実に情けないやないか。

しかしだ。この試合で躍動したのは、若ぇ衆どもである。
森下、伊藤大海、栗林。こいつら投手陣の心臓は一体どうなっているのか。毛でも生えているのか、それとも最初から心臓なんて上等なもんは搭載されてねえのか。
さらに村上宗隆。あいつが先制の放物線をブチ上げた瞬間には空気がぱかっと割れてしまいました。
かつての五輪といえば、選手たちの顔には「負けたら切腹」と言わんばかりの死相が漂い、背中にはズッシリと重いキリストの十字架が食い込んでいたもんだが、今回のはどうだ。
無観客という異様な空間が功を奏したのか、あるいは稲葉という男が醸し出す「徳」という名の得体の知れないオーラが毒気を抜いたのか。
「緊張? なんですかそれは。美味しいんですか?」
と言わんばかりの、軽やかでいて、しかし激烈な戦いぶり。
重苦しい悲壮感など微塵もねえ。これぞ新時代の侍の姿かと、わたしは白目を剥きながら感嘆したのである。

さて、今後の五輪野球は、やるのかやらぬのかハッキリしねえ不定期な扱いになるらしい。
野球人気がある国でしか開催されないという、なんとも現金な話だが、とりあえず次は2028年ロス五輪だ。
それまでわたしは無様に生きてるのか、無様に死んでるのか、あるいは別の何かに変異しているかもしれん。
知ったこっちゃねえが、とにかく野球というこの「球を棒でひっぱたく狂気」が続く限り、我々の煩悩は止まらないのである。
発行日:2021年 8月8日
新聞名:デイリースポーツ
大会:東京五輪決勝戦
対戦カード:侍ジャパン vs アメリカ代表
内容:試合結果と主力選手の活躍