🔽Contents🔽
スーパーラウンド
第1戦:東京ドーム
日本 VS. アメリカ
🇺🇸 0 0 0 0 1 0 0 0 0 1
🇯🇵 0 0 0 0 3 0 3 3 X 9
(日) 高橋宏、隅田、北山、鈴木昭、藤平、横山 − 坂倉
(ア) ヒル、パットソン、バーノン、パットン、ドゥルーリー、ミルズ、ビュー − オーキー、ヴォールドウィン
【本】トーマス(5回)、小園(7回、8回)
侍ジャパンの先発は高橋宏斗。アメリカ代表は44歳の左腕リッチ・ヒル。
高橋宏斗は初回から三者連続三振とエンジン全開。ヒットは打たれても連打は許さず、4回を8奪三振の快投。
5回から隅田知一郎が登板するが、6番トーマスのホームランで1点を先制されてしまう。
だが直後の5回裏、坂倉と小園のタイムリーで3点を奪い逆転! その後は小園祭り!
7回と8回に小園が2打席連続本塁打の小園フェスティバル!侍ジャパン9得点のうち、小園海斗は7点を叩き出した。
第2戦:東京ドーム
日本 VS. ベネズエラ
🇻🇪 0 2 0 0 0 3 0 0 1 6
🇯🇵 3 0 0 0 0 6 0 0 X 9
(日) 才木、井上、鈴木昭、藤平、大勢 ― 坂倉
(べ) ピント、メンデス、ベレト、ロドリゲス、アルバレス、ガルシア ― アルシア
【本】レイエス(2回)、ペレス(6回)、坂倉(6回)、牧(6回)
侍ジャパンの先発は才木浩人。ベネズエラ先発はピント。
侍ジャパンは初回に辰己、森下のタイムリーなどで3点を先制。だが直後の2回表にベネズエラの7番レイエスに2ランホームランを打たれ、1点差にされる。
その後は両チームともに得点なかったが、侍ジャパンは先発の才木から井上温大に代わった6回表、ベネズエラの4番ペレスに2ランホームランを打たれて逆転されてしまう。
2点ビハインドとなった侍ジャパンは、坂倉のソロホームラン、その後満塁として栗原が四球を選び、押し出しで1点を加えて同点にした。さらに牧秀悟が、グランドスラムを放ち一挙に6点を奪い取った。
投手陣は井上の後、鈴木昭、清水達也、藤平、大勢とつなぎ、スーパーラウンド2連勝を決めた。
第3戦:東京ドーム
日本 VS. 台湾
🇹🇼 0 0 1 0 2 2 0 0 1 6
🇯🇵 4 0 0 3 2 0 0 0 X 9
(日)早川、清水、北山、横山 ― 古賀
(台)チェン・ボーチン、ジャン・グオハオ、クォ・ジュンリン、ワン・ジシェン、チェン・グァンウェイ、ファン・エンツー ― タイ・ペイフォン
【本】村林(1回)、リン(9回)
侍ジャパンは初回、村林が先頭打者ホームラン。さらに森下のタイムリーなどでいきなり4点のリードを奪う。
台湾は3回表にソンエンのタイムリーで1点を返し、5回にはリン・リーのタイムリーなどで2点を返し1点差に迫る。
だが侍ジャパンは直後の5回裏に、2死満塁のチャンスに清宮がタイムリースリーベースを放ち突き放す。
粘る台湾は6回表に1番ジーチェンのタイムリーツーベースで2点差とした。
取られたら取り返すのが侍ジャパン。6回裏に五十幡のセフティーバントからチャンスをつくり、辰己のタイムリーで2点を奪い突き放す。
これで侍ジャパンはオープニングR 及び、スーパーRを全勝で通過し決勝戦に進出。大会初の完全優勝を目指す。
決勝ラウンド
決勝戦:東京ドーム
日本 VS. 台湾
🇹🇼 0 0 0 0 4 0 0 0 0 4
🇯🇵 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
(日) 戸郷、隅田、藤平、大勢 ― 坂倉
(台) 林、張、陳、林 ― 林、載
【本】林、陳
侍ジャパンの先発は戸郷翔征。台湾代表は左腕の林昱珉。
中盤まで両チームともに決め手を欠き無得点。特に侍ジャパンは台湾先発の左腕・林昱珉を攻略できなかった。
試合が動いたのは5回表、キャッチャーの8番・林のソロホームランで台湾が1点を先制。さらに3番の陳傑憲が3ランホームラン。リードを4点とした。
侍ジャパンはチャンスは作るが打線が繋がらず、また台湾の好守備にも阻まれ、流れを呼び込むことができなかった。
投手陣は2番手の隅田以降はランナーは出すが得点は許さず、踏みとどまった。 それだけに打線がふるわなかったのが悔やまれる。 前日にチャンスを生かした清宮幸太郎などの出番もなく、ビハインドの状況ながら積極性に欠けたように思えた。 この敗戦で、侍ジャパンの国際大会の連勝は27で止まった。
侍ジャパンの敗戦
永遠につづくものはない
何かが止まる音を聞いた── そんな気がした。それはおそらく、日本野球界の心臓の鼓動だったのかもしれない。
侍ジャパンの連勝記録が破られた夜、決勝戦という舞台で、誰もが期待していた結末が実現しなかった瞬間、静寂が押し寄せた。
侍ジャパンのトップチームが主要国際大会の決勝で敗れたのは、1996年アトランタ五輪のキューバ戦以来のことである。
それ以降、準決勝での敗退はあったものの、決勝戦で敗れるという光景は、長い間日本野球の歴史から姿を消していた。
その夜、何が狂ったのか。あるいは、狂わなかったからこそ、この結末を迎えたのかもしれない。
戸郷続投に宿るもの
5回のマウンドに立ち続けた戸郷翔征。その姿に井端監督の意志が見え隠れする。「信頼」だろうか。「期待」だろうか。それとも、ただの「賭け」だったのか。WBC2023準決勝の村上宗隆と同じように、監督は選手を信じる道を選んだ。
栗山監督が、WBC2023準決勝9回裏の大一番で、大不振の村上をそのまま打席に送り込んだとき、どれほどの不安が胸をよぎったのか。
凡退すれば、すべてが終わる状況。
だが、その信頼が実を結び、村上は日本中を歓喜に包んだ。
では、この夜の戸郷はどうだったのか。
同じ「信頼」の重圧を受けた彼は、村上のように応えられたのだろうか。
その問いの答えは、静かな敗北の中に沈んでいる。
終盤の沈黙
試合は終盤へと進む。
だが、観客の目に映ったのは無策とも言える静けさだった。村林一輝や清宮幸太郎── 前日の試合で好調だった彼らの名は、最後までベンチから呼ばれることはなかった。
そして、決勝戦の舞台に立つことを期待された紅林弘太郎もまた、登場しないまま試合が終わった。
井端監督は、何を考えていたのか。
その思考の断片を拾い上げる術はない。ただ、この静けさには、何かしらの意味があったはずだ。
その答えを、監督自身の言葉で聞く必要がある。
この敗北の意味
敗北は終わりではない── そんなありきたりな言葉では片付けられない。
この敗戦には、侍ジャパンが次のステージへと進むための手がかりがあるように思える。
侍ジャパンの歴史は、勝利だけで紡がれてきたわけではない。この一敗もまた、彼らの物語の一部なのだ。
次なる挑戦の舞台で、井端監督と侍ジャパンがどのような物語を紡ぐのか。その行方を、ただ静かに見守りたい。
侍ジャパンの課題
あまりに大きなMLB組
前年、2023年のWBCが大団円で幕を閉じたのは記憶に新しい。
あの輝かしい瞬間を形作った栗山英樹監督は勇退し、新たに井端弘和が指揮を執ることになった。その意味では、侍ジャパンはまた新たな一歩を踏み出す地点に立たされている。
ふり返れば、WBC優勝が証明したのは、侍ジャパンが「個」で状況を打開できる力を備えてきたということだ。
しかし、それはあくまでMLB組の参戦が前提条件として存在していたからこその成果であると言える。
村上宗隆や岡本和真といったNPB組の力はもちろん賞賛に値するが、トップチームがMLB組の力を欠いた場合、その差を無視することはできないだろう。
例えば次回のWBCでは、山本由伸だけでなく佐々木朗希もMLBで投げているかもしれないし、村上宗隆や岡本和真も海を渡る可能性が高い。
そうなれば、過去の第3回、第4回WBC(青木宣親のみ参戦)のように、MLB組の不参加が現実となる可能性は十分にある。
そして、思い出されるのは第2回や第5回WBCで優勝を掴んだ際の「理想のトップチーム」に必要だったイチローやダルビッシュ有、大谷翔平といった特別な存在の影響力だ。
NPB組の地力
では、大谷翔平という稀代のベースボールプレイヤーがいつか侍ジャパンから姿を消す未来をどう捉えるべきか?
ここで問われるのが、NPB組の「底上げ」の必要性だろう。それこそが、今回のプレミア12が抱えていた命題であったはずだ。
結果として大会連覇は叶わなかったが、NPB組の可能性を広げる一端は見えた。村上や岡本を欠いた中で決勝戦まで駒を進めた事実には、一定の「層の厚み」を感じることが可能だろう。
小園海斗や森下翔太、辰己涼介といった野手陣の活躍は特筆に値するし、投手陣では才木浩人の成長や藤平尚真のMVP級の働きが光った。
本質はNPB組
ただし、全てが順調だったわけではない。吉川尚輝の不在は痛手だったし、紅林弘太郎や清宮幸太郎が力を発揮しきれなかった点も悔やまれる。
侍ジャパンの未来を担うべき二遊間を託されるはずの吉川と紅林、国内組の中軸を背負う期待を受ける清宮が2026年春までにどう成長するか。
その答えを明確には見出せなかったことは、今回のプレミア12における最大の課題である。
未来を語ることは常に不確実性を伴うが、侍ジャパンにはその厚みと力を磨き続ける責務がある。
そして、それを支える「特別な存在」を待つだけでなく、自ら創り出していくことが求められるのではないか。
プレミア12の課題
国際野球大会の歪んだ構造
第3回目を迎えた世界野球プレミア12 2024。
まだ3回である。
歴史は浅いが、その存在を巡る問いや矛盾、さらには不可避的に浮かび上がる「課題」というものがこの大会を取り巻く一種の定めであるかのように現れてくるのも、当然のことと言えるだろう。
だが、この問いはプレミア12だけのものではない。WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)や五輪での野球競技にも共通する。
もっと大きな構造的問題が潜んでいる。
つまり、野球というスポーツを統括する「WBSC」と「MLB」という二つの巨大な主体の立ち位置と役割分担、さらにはその力関係のねじれから生じる問題である。
国際大会、その「本質」の欠如
まず考えなければならないのは、WBSCが果たして野球界の「中心」に位置しているのかという根本的な疑問である。
サッカー界で言うFIFAのような機能や地位を持ち得ていないWBSCは、名目上は国際野球を統括する最高機関とされている。しかし、実際にはMLBというアメリカのプロ野球リーグが、国際大会の運命そのものを握っているのが実情だ。
その結果、野球界の世界一決定戦はWBSC主催の大会ではなく、MLB主催のWBCとなっている。
なぜか。
言うまでもない。世界最高峰の選手── メジャーリーガーたちが、MLBの許可を得ない限り大会に出場できないからだ。そして、この矛盾がプレミア12を巡る問いをより複雑に、深刻にしている。
1998年以前──
その時代、国際大会という舞台に立つナショナルチームは、アマチュア選手のみであった。
まるで教科書の注釈にでもなりそうなこの状況下、キューバが最強という称号を独占していたわけだが、IBAFワールドカップではオランダやパナマ、ニカラグア、コロンビア、さらにはカナダ──そういった国々が大会の上位に名を連ねていた。
そしてかつての侍ジャパン、全日本チームに至っては、一度たりとも頂点に立ったことはなかったのだ。
1998年以降──
時代が変わる。いや、時代を変えたと言うべきか。
IBAF(現WBSC)はIOC(国際オリンピック委員会)からの要請を受け、プロ選手たちの国際大会参加を容認する方向へと舵を切った。
それが、ベースボールの「グローバル化」を標榜する試みの一環であったことは疑いようがない。
そして次の転機。メジャーリーガーも巻き込んだWBCという祭典の誕生。さらには、北京五輪をもって野球競技が五輪種目から除外されたという決定的な事件。
こうして「再編」という名の変革が、野球界全体に押し寄せることとなる。
野球界の格差社会
再編の先に待ち受けていたのは、決して薔薇色の未来ではなかった。
強固なプロリーグを有する国と、そうではない国、多くのメジャーリーガーを輩出出来る国と出来ない国、その違いは単に予算規模や施設の質にとどまらず、ナショナルチームの力の差という、より直接的な形で露呈していった。
プロ選手、さらにはメジャーリーガーが代表に名を連ねることで、真の「世界一決定戦」は確かに現実のものとなった。しかし、それは同時に、国際大会という舞台を「格差社会」へと変貌させる結果をもたらしたのだ。
こうした状況は避けられないものなのかもしれない──それを認めざるを得ない部分もある。
しかし、野球の「グローバル化」という大義名分のもとで進められた改革が、むしろその逆の結果を生んでいるというアイロニー。
この現実をどう受け止めるべきなのか。プレミア12という大会の存在意義は、この点に焦点を当てているのではないか。
プレミア12エクスパンション
WBCがあるのに、なぜプレミア12が存在するのか。
この問いは理論的には正しい。
世界一決定戦が二つもある必要はない。
それでは、この大会の「意義」はどこにあるのだろうか。
それは、国際大会の経験が少ない国々や選手たちに、強豪国のプロ選手が参加する「場」を提供することにあるのではないたろうか。その意味合いは次回大会からより明確になる。
プレミア12に出場するのは、世界ランキング上位12ヶ国。
つまり、参加資格が与えられるのは既に一定の実力を持つ国々だ。しかし、次回大会ではこれが変わる。
2027年に開催予定の第4回大会では、出場国が16ヶ国に拡大され、予選が導入される。ランキング13位から18位までの6ヶ国と、予選大会の開催国2ヶ国が、合計8ヶ国で出場権を競い合う。
これにより、プレミア12はさらなる「機会」を提供する場となるだろう。
国際大会の成功と野球後進国の成長
ベースボールという競技が「世界的にはマイナー」な競技という現実は否定しようがない。
だが、だからこそ、国際大会の成功は避けては通れない課題であり、そのためには欧州などの後進地域での競技レベルの向上が必要不可欠だ。
そして、後進国が強豪国との対戦を通じて得る経験値は、まさにその突破口となる。
もちろん、各国リーグ戦の重要性を否定するわけではない。日常があっての非日常である。
しかし、野球が「グローバル化」という次元において成長するためには、国内リーグだけでは満たされない新たな次元での取り組みが不可避である。
問いを超える視点
プレミア12という存在は、野球という競技そのものに内包された「問い」を映し出している。
そして、その問いを解き明かすことで初めて、この大会が持つ本質的な価値や可能性が見えてくるのではないか。
いずれにせよ、私たちはこの問いを「どう解決するか」だけではなく、「どう向き合うか」を考えるべきなのだ。