アロー。
平成20年8月24日のスポーツニッポン。
悲しい気分なんか/ぶっとばしちまいよ
なんて、RCサクセションの「ドカドカうるさいR&Rバンド」を口ずさみたくなるような現実。
2007年の星野監督の日本代表監督就任から始まった、星野ジャパンの旅路もこれで最後である。日本代表史上、最も悲しくて切なくて、虚しい紙面となってしまった。
最後もやはり星野監督が一面を飾った。
就任から最後の敗戦まで、星野、星野、星野、星野ジャパンであるのだからいいじゃないか、という気もするが、やはりふり返ると違和感があるわけだ。
ここに星野ジャパン敗戦の原因の一つがあるのではないかと思うのだが、ではそれはどういうことなのかと問われると言葉に窮する。
いずれ、この違和感を具体的なロジックで言語化することができたらまた別の場で発信しよう。
紙面左の記事は、侍ジャパン・トップチーム前監督の栗山英樹によるものである。必読。
先発は、今なにかと話題の和田毅。
そしてこの試合でも、またしても日本代表史に残るプレイが起こる。
もちろんG.G.佐藤である。
青木の3ランで3点リードした3回裏、G.G.佐藤のエラーから1死1、2塁となり、和田はアメリカ代表4番のマシュー・ブラウンに3ランを打たれて追いつかれてしまうのだ。
金メダルを勝ち取ったのは、アテネ五輪をアジア予選敗退で出場できなかった韓国だった。キューバを撃破し、見事に9戦全勝での優勝だった。
「WBCは北京のリベンジの場ではない」というのは後のイチローの発言だが、イチロー同様に北京不出場の松坂大輔がこの時点では「WBCで北京のリベンジの機運は高まるだろう」と発言していたのは面白い。
結局のところ、北京のリベンジが果たされるのは、13年後の東京となる。