ロサンゼルス五輪に出場した野球日本代表の監督を努めた松永怜一さんが12日、老衰のため横浜市内の病院で亡くなった。90歳だった。
現在は常設化されている侍ジャパン、すなわち野球日本代表の源流ともいえるのがロサンゼルス五輪の日本代表だと思っている。このブログの基本スタンスもそうである。侍ジャパンの歴史はここから始まったと言っていいだろう。そのチームで監督を努めたのが松永怜一氏である。
ご存知のとおり、日本代表のロス五輪への出場はキューバのボイコットにより急遽決まったことであり、都市対抗野球前などで主力メンバーを招集しずらい状況で松永監督は急造チームをつくった。そのような経緯のためか、選手たちの中では金メダルの意欲は低かったようだ。
そんなチームが、2021年の東京五輪まではオリンピック唯一の金メダルを獲得したチームなのだから野球は面白い。
「練習は選手が、試合は監督が」の指導者エゴが日本の野球を阻害していたと考えていた。
プレーするのは監督ではなく選手自身である。勝利の方程式は、選手の力が5、監督の力は3、残りの2は勝負につきものの運のようなものと考え、少なくとも監督の力が選手の力を上回ってはいけない。選手も自分の力を最大限発揮しようと努力している。その自己開発に手を差しのべてやるのが指導者の務めだ、と考えた。
2007年に野球殿堂入りしている。
松永怜一氏のこれまでの野球界への貢献に心より感謝し、安らかに永遠の眠りにつかれる事をお祈りいたします。