星野ジャパン強化試合
平成20年8月9日のサンケイスポーツ
あれは北京へ向かう列車がまだ夢という名の煙をもくもく吐き出していた時分のことで、つまりは2008年、という巨大な幻影に向かって、野球界全体が、うわあ行け行けと、妙に足並み揃えて前のめりになっていた頃の話である。
壮行試合だの強化試合だのと、言葉だけはやたらと勇ましくて、でパだのセだのと二試合もやる。いったい何を強化しているのか、筋肉か精神かそれとも幻想か、よく分からんが、とにかく人は集まり、わたしもその流れにちゃっかり乗っかって、パ・リーグ選抜との強化試合を見に行ったのである。
つまり、ああ行ったともさ、夢を見に。
だから新聞を買ったのだろう。記念に、なんとなく、未来の自分が「ほら見ろ」とか言いながら読み返すための、時限爆弾のような紙束を。
しかし当時はそんな自覚はない。ただ、球場の空気は甘かった。綿菓子みたいにふわふわしていて、触れれば溶けるくせに、やたらとでかい。夢と希望がそこら中に転がっていた。蹴飛ばしても誰も怒らないくらいに。
だが現実というやつは、後ろから無言で近づいてきて、ゴツンとやる。でかいし硬い。石かお前は、というくらいに。
その石に頭をぶつけながらも、なお進軍するのがこの時代の侍たちであった。

上原浩治。本来の出来とは程遠い、などという生ぬるい表現では足りぬ。調子は上がらず、上がらず、上がらず、まるで地下に潜っていくモグラのようで、どこまで掘る気だお前はと誰もが思った。
しかしそれでも呼ばれる。なぜか。経験値である。経験値という見えない数値が、星野の脳内でピカピカ光っていたのだろう。
彼は言う、「大丈夫だ」と。
いや言ってないかもしれんが、顔がそう言っている。あの顔はそういう顔だ。疑念をねじ伏せて、「行け」と言う顔だ。
で、行く。行かされる。上原もまた、その流れに飲み込まれていく。流れというのは恐ろしい。自分で泳いでいるつもりでも、実はただ流されているだけ、ということが往々にしてあるのだ。

さて、侍たちの先発はダルビッシュだった。二年前、つまり2006年のWBC強化試合ではプロ野球選抜の一員として出ていた男が、気がつけば代表のエースである。
二年。たった二年。
人間はこんなにも急激に役割を変えられるのか。それとも、最初からそうなる運命だったのか。どちらにせよ、ボールは投げられ、観客はざわめき、わたしはただ、ああすげえなと口を開けて見ているだけであった。

しかしだ!ここでひとつ言わせてくれ!オリンピック前の強化試合を、なぜ屋内で、しかも夜にやるのか。
本番のオリンピックを想定するんなら、昼間の太陽の下、土の匂いを嗅ぎながらやるべきではないのか。
そう思う。思うが、これは後から来た人間、つまり時間をちょっとだけ余計に生きてしまった者の傲慢である。
タイムトラベラー気取りの、後出しジャンケンである。ずるい。ずるいが、言わずにはいられない。
まあ、そんなことはどうでもいいのだ。重要なのは、わたしがその場にいたという事実であり、そして、奇跡が起きたということだ。
ファールボールである。
飛んできたのだ。白い球が、空を裂いて、観客席という無秩序の海に突っ込んできた。その瞬間、人々は一斉に手を伸ばす。欲望の触手。だが、わたしは違った。なぜか帽子である。手ではなく帽子。理屈はない。ただそうしたのだ。するとどうだ、スポンと収まったのである。まるで最初からそこが定位置であったかのように。
人生初のファールボールキャッチ。しかも帽子で。意味が分からん。分からんが、嬉しい。とにかく嬉しい。
そのボールには日本代表のマークが入っていて、つまりはただの球ではない、何かしらの象徴であり、記号であり、まあ要するにありがたいものなのだ。
それは今でも家にある。飾ってある。家宝である。いや、家宝なんて大げさなものではないのかもしれないが、少なくともわたしにとってはそうだ。
あの日、あの瞬間、あのふわふわした夢の中で、たしかに手に入れた現実のかけら。その証拠物件として、今日も黙ってそこにある。
夢は溶ける。だが、ボールは残る。
発行日:2008年 8月9日
新聞名:サンケイスポーツ
大会:星野ジャパン北京五輪強化試合
対戦カード:侍ジャパン vs パリーグ選抜
内容:試合結果と主力選手の活躍