WBC2023準々決勝:ニッカン
令和5年3月17日の日刊スポーツ。
MLB開幕戦が東京で始まったそうだ。
お祭りだ。カーニバルだ。盆踊りだ。だがテレビのこちら側から見れば、東京ドームもドジャー・スタジアムも、所詮は液晶パネルの中の小宇宙であり、ピクセルの集合体であり、遠き光である。
わたしはその遠き光に焼かれる蛾のように画面に貼り付き、山本由伸と今永昇太の投げ合いを見て、「これが現代日本の宗教戦争か」とか意味不明なことを呟いている。
そして思うのだ。駒澤大学OBとしては、今永昇太がメジャーの開幕戦の先発を務めるなど、もうそれだけで祝日であり、国民の休日であり、心が白装束を着て舞を踊っている。
というわけで、メジャーの開幕を横目に、またもや「侍ジャパン新聞スクラップ狂騒曲」を始めてしまう。
そう、思い出したように、ときどき発作的にやる。それが人の性(さが)である。

さて、第5回WBC。
制度が変わった。2次ラウンドが消えた。トーナメントになった。つまり、一発勝負。死ぬか、もっと死ぬかの世界。
そして我らが大谷翔平が、神と人との中間に位置する者として、二刀流で降臨したイタリア戦。

2点差に追いつかれた瞬間、わたしは冷蔵庫に走り、梅酒を抱えて帰ってきた。
岡本和真が打ち、村上宗隆が打ち、吉田正尚が打ち、打線が火山のように噴き上がる。あのとき、東京ドームの天井には確かに「アマテラス」がいた。

伊藤大海が大谷のピンチを救い、今永が燃え、ダルビッシュが立ち、大勢が吠える。
ダルビッシュが「これが日本代表として日本で投げる最後になるかもしれない」と言ったその声を聞いた瞬間、わたしの涙腺は破裂し、テレビ画面の中に水没した。
東京ドームのマウンドの下に、何千もの祈りが沈んでいるのを見た気がした。

そしてマイアミ。
突然の組み合わせ変更。アメリカ対ベネズエラの勝者とやるはずが、なぜかメキシコ対プエルトリコの勝者とやることになった。
「これがWBCの恐ろしさであり、アメリカという国の恐ろしさでもある」
そう呟いた自分の声が、深夜の部屋の壁に吸い込まれていった。
だが結果的に見れば、これが大正解。
つまり、「恐ろしさとは神の優しさの裏返し」だったのだ。

ドミニカ共和国が敗退した。
優勝候補が消えた瞬間、世界は少しだけ静かになった。
プエルトリコが勝ち、選手たちはマウンドに集まり、跳ねて、叫んで、泣いて、祝って、そして──守護神ディアスが壊れた。
歓喜は刃物のようなものだ。
強く握れば血が出る。
彼らは勝利という名の短剣で、自らの手を刺していた。
それでも人はまた、試合をする。
なぜか?
それが「生きている」ということだからだ。
そしてわたしは今日もテレビの前で、液晶の奥にあるどこかのドームを見つめ、
「由伸も今永も、おまえら神か?」と呟くのである。
