侍ジャパンと、ユニフォームと

野球日本代表、すなわち侍ジャパンのユニフォームなどに関する二、三の事柄。日本代表ネタ、国際大会ネタがないときは野球カードでつなぎます。お許しを。

【野球に対して極端に情熱的な国・ベネズエラ】

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くたばれコロナ!とりあえず小さくたって大きな声で叫ばなければ気がすまぬ。昨日も今日も。

 

1927年以来活動を続けるベネズエラ野球連盟 (Fevebeisbol) は長い歴史をもつわけだが、新型コロナ感染拡大という状況の今ほど困難な状況になったことはないという。まあ、当然だろう。

ベネズエラ代表(2019WBSCプレミア12では7位)は世界ランキング8位、女子代表(2018WBSC女子野球ワールドカップで5位)は4位にランクインしている。ベネズエラは世界でも有数の野球強豪国の一つということだ。国際舞台でも常に上位10位圏内に入り、国内の野球人気は衰えることがない。特にユースレベルでの選手層が厚い。国内でU-4というカテゴリーの選手権が開催されていたりするのだ。でも成立するのか?

 

ベネズエラに野球が伝わったのは1890年で、北アメリカに留学していた学生たちによってもたらされた、或いは首都カラカスを訪れたキューバ人により伝えられたと言われている。産油国であるこの国にやってきたアメリカのビジネスマンたちによって広められた。1895年に初のクラブチーム、カラカスBBCが発足し、20世紀に入る頃には国民的スポーツとなっていた。

そして1927年にベネズエラ野球連盟が設立された。ベネズエラにおいて野球人気が爆発したのは1941年アマチュアワールドシリーズ(IBAFワールドカップ)で、開催国のキューバに勝利し優勝した時である。この大会の決勝戦は『Los Héroes del '41(1941年の英雄たち)』としてベネズエラの歴史に残っている。

ベネズエラはアマチュアワールドシリーズで優勝し、後のIBAFワールドカップでも1944年と1945年に優勝した。銀メダル2回(1951年と1953年)、銅メダル4回 (1942年、1950年、 1961年、1973年)に輝いている。

2012年に行われた新設WBSC U-15野球ワールドカップでも優勝している。

 

ベネズエラはスポーツへの情熱が高いわけだが、特に国を代表するナショナルチームへの情熱はさらに高い。さらにさらに野球のこととなると、その情熱は極端なほどに高くなるという。実際ベネズエラ代表チームのスローガンは『la que nos vuelve locos(俺たちを気が狂うほど夢中にさせるやつら)』である。この記事を書いたのは、このスローガンを伝えたかったからである。なにか侍ジャパン、というか日本とは違うなあと思うわけである。

こんな感じでこれからも各国のベースボール事情をゆる〜く発信できればな、と思っている。

 

一人一人がそれぞれの場所で踏ん張るんだ!でも、がんばらない!怠けないこと!

そんな感じで。