侍ジャパン、すなわち野球日本代表のユニフォーム、ていうかレプリカユニフォームを紹介したりしなかったりするのがこのブログの本懐。本来ならば東京オリンピック仕様にマイナーチェンジを施したユニフォームについて書いたりする頃合いだが、まさかの紅のセカンドビジターユニフォームの登場である。まだネーム入りが出てないのでとりあえず1984年のロス五輪から2008年の北京五輪までのユニフォームを、レプリカユニフォームをまとめて紹介しておきたい。
SAMURAI JAPAN
Japan Baseball National Team
Successive Generations
Replica Jersey
OLYMPIC
ロス・ソウル五輪
84年ロス・88年ソウル五輪で着用されたユニフォームのレプリカ。ホーム用。ボタンではなくプルオーバータイプというのが時代を感じる。
ロス五輪は東芝の福本勝幸が23番。ソウル五輪では誰もつけてないよ。
同ビジター用。先日発売された「日本代表ユニホーム図録」では掲載されてなかった。確かに野球殿堂博物館の展示で、このビジター用ユニホームを見た覚えはない。てことは五郎の所有してるこのユニはなかなか貴重である。と思っとこ。
ロス五輪では三菱自動車の吉田康夫捕手。ソウル五輪では東芝の前田誠外野手がつけた。
バルセロナ五輪
92年バルセロナ五輪で着用されたユニフォームのレプリカ。ホーム用。前回同様にプルオーバータイプ。レプリカには現在確認できているだけで2種類あって、ストライプの色が違う。
バルセロナ五輪では11番は誰も。
アトランタ五輪
96年アトランタ五輪で着用されたユニフォームのレプリカ。ホーム用。
プルオーバータイプではなくボタン仕様となった。このレプリカではノーマルタイプのボタン仕様だが、実際に選手が着用したユニフォームはヘンリーネックタイプである。
レプリカではよくあることだ。最近はないが。
そして唐突に、ユニ左袖に野球日本代表のシンボルマークのようなものが登場した。鶴である。
この時代の日本代表で30番といえば監督の番号である。だがアトランタは樋口監督ではない。
同ビジター用。こちらはレプリカでもヘンリーネックタイプ仕様となっている。左袖のシンボルマークは省略されているが、もちろん実使用のユニフォームにはビジターにも入ってる。
アトランタ五輪の1番。それは福留孝介。
シドニー五輪
00年シドニー五輪のプロコレユニ。
縦縞に左胸に日の丸と「JAPAN」の歴史はこれが最後。野球日本代表の黎明期のユニフォーム。
シドニー五輪日本代表4番・中村紀洋。
同ビジター用。紺色、ネイビーのビジター用ユニフォームの歴史は一旦ここで幕を閉じる。また別の形で復活する。
やはり、18番ということは、彼、平成の怪物、ということで。松坂大輔ということで。
アテネ五輪
04年アテネ五輪で着用されたユニフォーム。ホーム用。長嶋ジャパン、星野ジャパンで使用されたので記憶にあるファンも多いだろう。2003年あたりから2012年まで使用された。
日本代表のエース。
同ビジター用。日本代表ユニフォームのビジター用はグレー、という印象が強いがそれはやはりこのユニフォームの使用期間が長かったからで、実際はビジター用ユニは紺色の歴史である。
やはりエースは松坂大輔。
北京五輪
アテネ五輪と基本的な違いはないが、選手仕様でいえば長嶋ジャパン仕様とそれ以外はJAPANロゴが少し違う。レプリカでいえばアテネ五輪のレプリカは背襟の日の丸が省略され、北京五輪のレプリカでは再現されている。
もはやネタになってる佐藤隆彦のプレイ。
同ビジター用。
大谷翔平、藤浪晋太郎擁するU-18代表も着用している。おそらく2012アジア野球選手権大会が最後の使用だと思われる。ちなみに同大会には大学生で山川穂高が出場している。
やはりこのグレービジターは好きだ。
東京五輪
稲葉ジャパンの集大成といえる東京オリンピックでのユニフォーム。メーカーがミズノからアシックスに変更。プレミア12でも使用された。
浅村栄斗が日本代表でオリンピック出場。泣ける。
東京五輪では使われていないビジター用だが、まあ、一応のせておいた。
日米野球以外ではイマイチな気がする柳田悠岐。
東京五輪用に新たにデザインされた、セカンドビジターの「紅」ユニ。このユニをビジター用として着用したので、本来のネイビービジターは出番がなかった。
無地です。
さて、東京オリンピックのユニフォームが最後となるのか。いつか新たにこの記事が更新されることがあるのか。やってくれよう。