侍ジャパン 五輪ユニフォームの変遷
くたばれコロナ!とりあえず小さくたって大声で叫ばなければ気がすまぬ昨今。
侍ジャパン、すなわち野球日本代表のユニフォーム、ていうかレプリカユニフォームを紹介したりしなかったりして、気づけばオリンピックのユニフォームも北京五輪で終了した。本来ならば東京五輪に出場する侍ジャパンのメンバーが6月には発表され、さらにはマイナーチェンジを施した東京五輪仕様のユニフォームについて書いたりするのだが、オリンピックは一年延期となった。なのでここで84年のロス五輪から北京五輪までのユニフォームを、レプリカユニフォームをまとめて紹介しておきたい。
ロス・ソウル五輪
84年ロス・88年ソウル五輪で着用されたユニフォームのレプリカ。ホーム用。ボタンではなくプルオーバータイプというのが時代を感じる。
同ビジター用。先日発売された「日本代表ユニホーム図録」では掲載されてなかった。確かに野球殿堂博物館の展示で、このビジター用ユニホームを見た覚えはない。てことは五郎の所有してるこのユニはなかなか貴重である。と思っとこ。
バルセロナ五輪
92年バルセロナ五輪で着用されたユニフォームのレプリカ。ホーム用。前回同様にプルオーバータイプ。レプリカには現在確認できているだけで2種類あって、ストライプの色が違う。
アトランタ五輪
96年アトランタ五輪で着用されたユニフォームのレプリカ。ホーム用。プルオーバータイプではなくボタン仕様となった。このレプリカではノーマルタイプのボタン仕様だが、実際に選手が着用したユニフォームはヘンリーネックタイプである。レプリカではよくあることだ。最近はないが。そして唐突に、ユニ左袖に野球日本代表のシンボルマークのようなものが登場した。鶴である。
同ビジター用。こちらはレプリカでもヘンリーネックタイプ仕様となっている。左袖のシンボルマークは省略されているが、もちろん実使用のユニフォームにはビジターにも入ってる。
シドニー五輪
00年シドニー五輪で着用されたユニフォームのレプリカ。「BFJ」マークが左袖にあるので、正確には前年のアジア地区予選のユニフォームだ。
同ビジター用。紺色、ネイビーのビジター用ユニフォームの歴史は一旦ここで幕を閉じる。また別の形で復活するが。
アテネ五輪
04年アテネ五輪で着用されたユニフォーム。ホーム用。長嶋ジャパン、星野ジャパンで使用されたので記憶にあるファンも多いだろう。2003年あたりから2012年まで使用された。
同ビジター用。日本代表ユニフォームのビジター用はグレー、という印象が強いがそれはやはりこのユニフォームの使用期間が長かったからで、実際はビジター用ユニは紺色の歴史である。
北京五輪
アテネ五輪と基本的な違いはないが、選手仕様でいえば長嶋ジャパン仕様とそれ以外はJAPANロゴが少し違う。レプリカでいえばアテネ五輪のレプリカは背襟の日の丸が省略され、北京五輪のレプリカでは再現されている。
同ビジター用。大谷翔平、藤浪晋太郎擁するU-18代表が着用している。おそらく2012アジア野球選手権大会が最後の使用だと思われる。ちなみに同大会には大学生で山川穂高が出場している。
翌年に侍ジャパン、すなわち野球日本代表のユニフォームは歴史的ターニングポイントをむかえることになる。だがそれはまた別の機会に。
一人一人がそれぞれの場所で踏ん張るんだ!がんばらない!怠けないこと!
そんな感じで。