侍ジャパンと、ユニフォームと

野球日本代表、すなわち侍ジャパンのユニフォームなどに関する二、三の事柄。日本代表ネタ、国際大会ネタがないときは野球カードでつなぎます。お許しを。

【侍ジャパンの歴代エースナンバー18番列伝!】

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というわけで野球日本代表、すなわち侍ジャパンのエースナンバーをつけた選手をまとめてみた。

18番がもつ意味も時代とともに変化していき、必ずしもエースナンバーとは言えなくなってしまうのが残念である。

 

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侍ジャパン 歴代メンバー年代順リスト

 

                             🔽Contents🔽

 

 

 

 

 

1984ロス五輪

西川佳明(法政大→南海)
左投左打
左投げの技巧派投手である。18番を背負うタイプとは少し違う感じのピッチャーだが、実際にロス五輪でもエース格の存在ではなかった。登板した試合は1試合だけで、予選リーグ最終戦のカナダ戦で、決勝トーナメント進出を決めた後の完全な調整試合だった。
とはいえPL学園甲子園優勝投手である。同期には読売に入団する吉村禎章など。プロ入りの同期では同じくPL学園の後輩である高卒ルーキー清原和博桑田真澄がいて、西川は新人で10勝をあげる活躍をしたが新人王は獲れなかった。もちろん同年パリーグの新人王は清原和博である。

 

 

1988ソウル五輪

石井丈裕(プリンスホテル→西武)
右投右打
本格右腕のエースらしいピッチャーである。同代表には後のメジャーリーガー野茂英雄、石井とともに西武に入団する潮崎哲也渡辺智男などがいたが、石井丈裕がエースナンバーである。

ロス五輪の西川佳明と同じ法政大出身なのは偶然だろうか。ロス五輪日本代表監督松永怜一も法政大であるのも偶然だろうか。

ソウル五輪日本代表監督鈴木義信は慶応大である。だが次のバルセロナ五輪日本代表監督山中正竹は法政大である。

現侍ジャパントップチーム監督の稲葉篤紀も法政大。まあいい。石井丈裕の早実から法政大という進路も珍奇である。まあいい。
ソウル五輪では投手陣で断トツの23.2/3イニングを投げ、防御率は1.14とエースの名に恥じない活躍であった。

迫力のあるワインドアップから繰り出すストレートとスライダーは制球力が抜群で、プロ入り後には伝家の宝刀となるパームボールを習得している。

 

 

1992バルセロナ五輪

伊藤智仁(三菱自動車京都→ヤクルト)
右投右打
アジア地区予選の後に山中監督から、オリンピックのためにもう一年アマチュアでやらないか、と声をかけられて初の代表入り。

チームのエース格は予選からのメンバーである小桧山雅仁だったが、18番は伊藤智仁がつけていた。伊藤は3試合18イニングを投げ、2勝0敗、防御率2.50、27奪三振の記録を残した。1大会27奪三振はオリンピックレコードであり、ギネス記録にも認定されている。
五郎と近い世代の野球ファンにとって、伊藤智仁は生きる伝説ともいえる投手である。彼の投げた高速スライダーはプロ野球史上最高のスライダーと評されている。

 

 

1996アトランタ五輪

森昌彦(NTT東海)
代表チームでエースナンバーである18番をつけてプロ入りしなかった唯一の投手である。このときの日本代表のエースはやはり野球界でミスター・アマ野球と呼ばれた杉浦正則だろう。森昌彦はチーム最年長30歳で、最多6試合に登板してゲーム中盤を支えた。

 

 

2000シドニー五輪

松坂大輔(西武)
右投右打
プロデビュー2年目で、球界初となるプロ・アマ混合の日本代表でエースナンバーをつけたのはさすが平成の怪物。これなら令和の怪物こと佐々木朗希が来年の東京五輪で侍ジャパン入りすることも決して夢物語ではない。松坂は実際は前年のアジア地区予選で代表入りして18番をつけているから更にすごい。
予選リーグ初戦、第6戦の韓国戦、そして3位決定戦と重要な局面で登板した松坂。1勝もできなかったが、3試合で27イニングを投げている。今では考えられない数字である。

 

ここで余談だが、侍ジャパンの18番ではなく19番について書いておきたい。日本代表の19番のはじまりはソウル五輪となる。ロス五輪では空番で、ソウル五輪で19番をつけたのは日本人メジャーリーガーのパイオニア・野茂英雄である。そして次のバルセロナ五輪からシドニー五輪まで3大会連続で19番を背負ったのがミスター・アマ野球の杉浦正則だ。そしてアテネ五輪、06WBC、北京五輪で受け継いだのが国際大会に強かった上原浩治。面白い系譜である。メジャーリーガーのパイオニア、オリンピックに情熱を注いだミスター・アマ野球、そしてミスター国際大会である。侍ジャパンの裏エースのような継承となっていて興味深い。北京五輪で抑えにまわった上原浩治以降の19番が増井浩俊山崎康晃となっているのも面白いではないか。

 

 

 

 

 

 

2004アテネ五輪

松坂大輔(西武)
右投右打
オリンピック2大会連続で18番をつけた。この時代は、松坂以外に日本代表で18番をつけるピッチャーなど考えもしなかった。それくらいに圧倒的な存在であった。

アテネ五輪では日本代表はオールプロとなり、先発要員のピッチャーは2試合出場が基本となった。松坂は予選大一番のキューバ戦と準決勝の登板となった。

エースの名に恥じることなく、松坂はキューバ戦で歴史を変えた。オリンピックにおいて、初めてキューバに勝利したのである。準決勝オーストラリア戦では7回2/3を13奪三振1失点と好投したが、打線の援護なく惜敗した。

 

 

2006WBC

松坂大輔(西武)
右投右打
国際大会に初めてメジャーリーガーが出場する、というかメジャーリーガーが出場する国際大会が新設されたわけだが、そこでもやはり18番は松坂大輔であった。上原浩治渡辺俊介とともに先発三本柱に指名された松坂。第1ラウンドの台湾戦、第2ラウンドの負けられないメキシコ戦、そして決勝のキューバ戦に先発。すべてに勝利して大会MVPに選ばれた。

 

 

2008北京五輪

ダルビッシュ有(北海道日本ハム)
右投右打
2006年のシーズンを最後にアメリカへと渡った松坂大輔に代わり、オリンピックではダルビッシュ有が18番をつけた。前年のアジア地区予選で星野監督から先発三本柱に指名されたのはダルビッシュ、涌井、成瀬ら若いピッチャーたちで日本代表投手陣の世代交代の波を感じたが、オリンピックでは機能しなかった。
ダルビッシュは北京五輪で3試合に登板。予選リーグ初戦のキューバ戦、最終戦のアメリカ戦に先発。3位決定戦のアメリカ戦では最終回に登板した。計7イニングを投げ0勝1敗、防御率は5.14と決して満足のいく結果ではなかった。自身を不甲斐なく思ったのか、ダルビッシュが大会中に坊主頭にしたことを覚えてるファンも多いだろう。

 

 

2009WBC

松坂大輔(ボストン)
右投右打
メジャーリーガーとなった松坂が再び侍ジャパンの18番である。そしてこれが最後の侍ジャパンであり、松坂が日本代表で18番をつけたのも現在のところこれが最後である。3試合に先発して14.2イニングを投げ3勝、防御率2.45である。さらには2大会連続でMVPを獲得している。結果として1勝しかしていないが、岩隈久志のほうが大会をとおしての印象は強かった。だがやはり、エースナンバーは松坂大輔なのだ。WBCでは負けなしである。
東京ラウンドの韓国戦、サンディエゴラウンドのキューバ戦、そして準決勝アメリカ戦に先発している。どれも重要な試合である。これが日本代表、侍ジャパンのエースの仕事である。負けないこと、これがエースである。
優勝後の記者会見で田中将大(まさお)が、次は松坂の18番をつけたいと宣言していた(言わされていた)が、会見の後に松坂はまだ渡さないと一蹴してたらしい。なんというか侍ジャパンのエースナンバー18番は、やはりすべての野球選手の憧れであってほしい。

 

 

2013WBC

杉内俊哉(読売)
左投左打
メジャーリーガー不参加で国内組のみの侍ジャパンで参戦した大会である。WBCの意味ないじゃんって思ったけど、他の国は参加してるからいいか、とも思った。松坂から日本代表の18番を継承されるのはダルビッシュしかいないと思ったが彼は国際大会にあまり熱心ではなかった。残念である。ならば新たなるゴールデン・エイジの旗手・田中将大、と思ったのだがこの大会で18番をつけたのは杉内俊哉であった。もちろん杉内が適任ではない、と言いたいわけではない。いいピッチャーである。前年は12勝4敗で決して悪い成績ではないのだが、ここは世代交代という意味でも田中、もしくは前田健太に背負ってほしかった、というのが個人的な思いである。
結果として杉内は3試合3.2イニングを投げ、1Sで防御率2.45という成績である。悪くはないが、18番としては不満である。やはりエースナンバーは先発ピッチャーがつけるべきである。

 

 

2015プレミア12

前田健太(広島)
右投右打
前年の日米野球につづいて選出された、プロ3年目の大谷翔平がエース級の活躍であったが、18番をつけたのは前田健太であった。基本的には所属球団での背番号を代表チームでもつける、ということである。

だが、それではエース級ピッチャーに関しては面白みに欠ける。やはり侍ジャパンではバチバチっと火花を散らして18番を奪いあってほしいものである。
オープニングラウンド初戦と準決勝の韓国戦という大一番では大谷翔平が先発したが、オープニングラウンドのメキシコ戦と準々決勝プエルトリコ戦に先発した前田健太。メキシコ戦は中田翔の劇的サヨナラヒットでサヨナラ勝ち、準々決勝は前田が7回無失点の好投で危なげなく勝利した。

 

 

2017WBC

該当者なし。

 

 

2019プレミア12

山口俊(読売)

右投右打

一応、18番だったので掲載したが、チームにおいてエースと呼べるような投手ではなかった。

 

 

2020東京五輪

田中将大(東北楽天)

右投右打

1試合 0勝0敗 0S 3回2/3 防御率7.36

チーム唯一のオリンピック経験者で、元メジャーリーガーで、投手陣最年長である。

ノックアウトステージでのアメリカ戦に先発したが、4回途中3失点。

東京五輪でのエースは間違いなく山本由伸であり、田中将大は先発の柱というよりは、若手が多い投手陣の精神的支柱として、彼らをバックアップしていた。

 

 

2023WBC

山本由伸(オリックス)

右投右打

 

 

 

 

 

2023WBCのエースナンバーは誰だ!

2017WBCでは18番をつけた投手はいなかった。時代の変化だろうか。もはや18番に固執するピッチャーなどいないのだろう。18にこだわるピッチャーなんて少数派なんだろう。大きくふりかぶって投げるワインドアップのピッチャーが少数派のように。

参考までに2022年のプロ野球12球団の18番

埼玉西武     空き番
福岡ソフトバンク 武田翔太
北海道日本ハム  吉田輝星
オリックス    山本由伸
千葉ロッテ    二木康太
東北楽天     田中将大

読売       菅野智之
広島       森下暢仁
阪神       馬場皐輔
中日       空き番
東京ヤクルト   寺島成輝
DeNA横浜     小園健太

 

WBC2023で背番号18を背負うのは山本由伸に決定した。

12人の先行発表に入っていた山本由伸だが、背番号も合わせて決定していて、18となっていた。この発表は田中と菅野の落選を意味しているのではないか。

基本的に代表の背番号は所属球団の背番号をつけるが、選手同士で重複する場合は年功序列で、年上優先となる。そうなると、山本由伸より年長の田中、菅野が18番ではないのであれば、それは選出されないということだろう。

まあ、栗山監督だから絶対、とは言いきれないが。

 

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