野球球リンピック史第2章がはじまったわけである。野球の国際大会へのプロ選手参加の経緯は前回の「99年アジア選手権」の記事で書いたとおりだ。
直前になって決定したことではないが、はじまったばかりのことなのでプロとアマの足並がそろわず、プロ12球団でも温度差があり、万全の態勢でのぞんだとは到底言い難いものであった。
パ・リーグは各球団主力級を一人ずつ派遣したが、セ・リーグは広島・中日のみとなった。代表選手が決定したのは五輪開幕2ヶ月前である。
シーズン中ということもあるが、合宿が行なわれることもなく、プロ選手は初戦二日前にシドニー入りである。忙しない。
アマチュアからは後にプロ入りする選手が多数選出されている。面白いのは渡辺俊介で、「ベースボールマガジン」のインタビューにおいて、当時の全日本にはアンダースロー枠というものがあったとふり返っていた。社会人で目立てば代表合宿までは行ける、とされていたらしい。その枠は今の侍ジャパンにも渡辺俊介→牧田和久→髙橋礼というふうに受け継がれている。
オーストラリア代表にマイケル中村、ディンゴことデビッド・ニルソン。オランダ代表に千葉ロッテ、ヤクルトで活躍し代表監督になるヘンスリー・ミューレンが選ばれている。アメリカ代表の監督はラソーダ監督である。
シドニー五輪からバットが木製になりホームランは激減したようだ。なので今までより投手陣が重要となる大会と目されていた。
日本代表メンバー
監督
30 太田垣耕造
コーチ
33 林裕幸
34 野村収
35 長崎慶一
投手
11 土井善和
12 河野昌人 (広島C)
13 渡辺俊介 →千葉ロッテM
14 吉見祐治 →横浜B
15 石川雅規 →ヤクルトS
16 山田秋親 →福岡ダイエーH
17 杉内俊哉 →福岡ダイエーH
18 松坂大輔 (西武L)
19 杉浦正則
54 黒木知宏(千葉ロッテM)
捕手
2 鈴木郁洋(中日D)
21 阿部慎之助 →読売G
22 野田浩輔 →西武L
内野手
3 松中信彦 (福岡ダイエーH)
4 平馬淳
5 中村紀洋 (大阪近鉄B)
6 田中幸雄(日本ハムF)
8 沖原佳典 →阪神T
9 野上修
外野手
1 田口壮 (オリックスB)
10 梶山義彦
24 飯塚智広
25 廣瀬純
26 赤星憲広 →阪神T
基本オーダー
1(遊)沖原佳典
2(中)飯塚智広
3(左)田口壮
4(三)中村紀洋
5(指)松中信彦
6(一)田中幸雄
7(右)梶山慶彦
8(二)平馬 淳
9(捕)鈴木郁洋
予選リーグ
第1戦
アメリカvs日本
🇯🇵 0 0 0 0 0 0 0 1 1 0 0 0 0 2
🇺🇸 0 0 0 0 0 0 2 0 0 0 0 0 2X 4
(日)松坂、杉内 ― 鈴木郁
いきなり初戦でアメリカ代表と激突。
日本の先発はエース松坂大輔。オリンピック史上最長となる延長13回の死闘となった。
6回まで無失点に抑えていた松坂だったが、7回裏に3連打を浴び2失点。
だが日本は8回表に1点を返すと、土壇場の9回に同点に追いつき延長に持ち込む。
10回を投げきった松坂は杉内にバトンを渡す。杉内
は2回を完璧に抑えるが、13回裏、ツーランホームランを打たれてサヨナラ負けとなった。
第2戦
日本vsオランダ
🇳🇱 0 1 0 0 0 0 1 0 0 2
🇯🇵 1 3 0 3 0 0 2 1 X 10
(日)吉見、土井、河野 ― 鈴木郁
【本】中村、松中
前日の敗戦を振り払うかのようなに、日本打線が爆発し、中村紀洋、松中信彦のホームランなどで10点を奪い合い快勝した。
このときのオランダ代表には、現オランダ代表監督のヘンスリー・ミューレンがいた。
第3戦
オーストラリアvs日本
🇯🇵 1 0 0 0 2 4 0 0 0 7
🇦🇺 0 0 3 0 0 0 0 0 0 3
(日)黒木、石川 ― 鈴木郁
【本】沖原
先発はジョニー黒木。
3回に3点を失い逆転されるが、5回表に同点、6回には沖原のスリーランホームランなどで勝ち越し試合を決めた。
第4戦
イタリアvs日本
🇯🇵 0 1 0 1 2 0 0 1 1 6
🇮🇹 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1
(日)山田、渡辺、石川、土井 ― 鈴木郁
【本】田中幸
初回に1点を先制されたものの、すぐに同点に追いつき、その後も着時に得点を重ねて快勝。
第5戦
南アフリカvs日本
🇯🇵 3 0 0 0 2 0 0 2 1 8
🇿🇦 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
(日)吉見、杉内、杉浦、河野、山田─阿部
【本】中村、田中幸
初回に南アフリカのエラーなどで3点を先制。5回表には中村紀洋のツーランホームランで2点を追加し、快勝。
第6戦
日本vs韓国
🇰🇷 4 0 0 0 0 0 1 0 0 2 7
🇯🇵 2 0 0 0 1 0 2 0 0 1 6
(日)松坂、土井─鈴木郁
【本】沖原
初戦のアメリカ戦につづいて先発は松坂大輔。
だが松坂は初回から大乱調。イ・スンヨプのホームランなどで韓国が4点を先制。その後は立ち直り試合をつくった。
初戦のアメリカ戦同様に延長戦となるも、またも勝ち切ることができなかった。
第7戦
日本vsキューバ
🇨🇺 0 1 1 0 3 1 0 0 0 6
🇯🇵 0 0 0 2 0 0 0 0 0 2
(日)山田、渡辺、杉浦、河野─鈴木郁
同点で迎えた5回、2番手渡辺俊介がキンデランにスリーランホームランを打たれしまう。
13安打6失点と打ち込まれて完敗する。日本は予選リーグを4勝3敗、どうにか4位で決勝トーナメントに進出である。
決勝ラウンド
準決勝
キューバvs日本
🇯🇵 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
🇨🇺 0 0 0 1 0 2 0 0 X 3
(日)黒木、石川 ― 鈴木郁
大一番である準決勝は対キューバである。先発はジョニー黒木。
序盤3回はキューバ打線を力でねじ伏せるが4回にキンデランにタイムリーを打たれる。6回にも再びキンデランにやられてしまう。
予選でもキンデランは日本戦でホームランを打つなど、日本人投手との相性が良かったのだろうか。
黒木は7回を3失点のクオリティースタートであるが打線の援護がなかった。完全に抑え込まれたわけでもなかったが、つながらなかった。またしてもキューバに完敗し、金メダルの夢は潰えた。
3位決定戦
韓国vs日本
🇯🇵 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1
🇰🇷 0 0 0 0 0 0 0 3 X 3
(日)松坂─鈴木郁
3位決定戦は永遠のライバル、韓国である。先発は当然のことに松坂大輔。中3日である。
だが松坂は疲れを感じさせないピッチングで7回まで韓国を無失点に抑える。
が、8回にまたしてもイ・スンヨプに打たれてしまう。日本は9回に1点を返すがそこまで。やはり接戦に勝てなかった。
オリンピック史上初めてプロ選手が出場しながら、初めてメダルを逃した大会となった。やはりこれは、オリンピックで金メダルをとるために日本球界が一枚岩にならなければならなかったのに、なれなかった結果だろう。当然のことに問題は選手ではなく、統括する組織にあった。プロ側が派遣した選手はとても満足できるメンバーではなかったし、アマはアマで監督を含めてプロ選手に依存しすぎていた。この結果を受けて次のアテネ五輪はオールプロのドリームチームで臨むことになる。
松坂は大会1位の25奪三振である。伊藤智仁のもつオリンピックレコード27に迫る記録であった。
オリンピック後の「週刊ベースボール」の対談記事である。注目すべきは「サムライ・ジャパン」という見出しである。
当然のことに2000年においてはまだ侍ジャパンという名称は使われていない。ノストラダムスの大予言が外れた翌年のことである。どうでもいいが。