侍ジャパンと、ユニフォームと

野球日本代表、すなわち侍ジャパンのユニフォームなどに関する二、三の事柄。日本代表ネタ、国際大会ネタがないときは野球カードでつなぎます。お許しを。

【侍ジャパンの歴史・記憶 00シドニー五輪】日本球界の未熟さと歪さを露呈したシドニーの惨劇。

日本代表メンバー

監督         
30 太田垣耕造    
コーチ        
33 林裕幸      
34 野村収      
35 長崎慶一     
投手         
11 土井善和     
12 河野昌人  広島 
13 渡辺俊介 →千葉ロッテ
14 吉見祐治 →横浜 
15 石川雅規 →ヤクルト
16 山田秋親 →福岡ダイエー
17 杉内俊哉 →福岡ダイエー
18 松坂大輔  西武 
19 杉浦正則     
54 黒木知宏  千葉ロッテ
捕手         
2 鈴木郁洋  中日  
21 阿部慎之助 →巨人
22 野田浩輔 →西武
内野手        
3 松中信彦  福岡ダイエー
4 平馬淳       
5 中村紀洋  大阪近鉄
6 田中幸雄  日本ハム
8 沖原佳典 →阪神
9 野上修       
外野手         
1 田口壮  オリックス
10 梶山義彦      
24 飯塚智広      
25 廣瀬純       
26 赤星憲広 →阪神

基本オーダー

1 SS 沖原
2 CF 飯塚
3 LF 田口
4 3B 中村
5 DH 松中
6 1B 田中
7 RF 梶山
8 2B 平馬
9 C 鈴木

シドニー五輪特集号


野球球リンピック史第2章がはじまったわけである。野球の国際大会へのプロ選手参加の経緯は前回の「99年アジア選手権」の記事で書いたとおりだ。
直前になって決定したことではないが、はじまったばかりのことなのでプロとアマの足並がそろわず、プロ12球団でも温度差があり、万全の態勢でのぞんだとは到底言い難いものであった。
パ・リーグは各球団主力級を一人ずつ派遣したが、セ・リーグは広島・中日のみとなった。代表選手が決定したのは五輪開幕2ヶ月前である。
シーズン中ということもあるが、合宿が行なわれることもなく、プロ選手は初戦二日前にシドニー入りである。忙しない。

アマチュアからは後にプロ入りする選手が多数選出されている。面白いのは渡辺俊介で、「ベースボールマガジン」のインタビューにおいて、当時の全日本にはアンダースロー枠というものがあったとふり返っていた。社会人で目立てば代表合宿までは行ける、とされていたらしい。その枠は今の侍ジャパンにも渡辺俊介→牧田和久→髙橋礼というふうに受け継がれている。 

オーストラリア代表にマイケル中村、ディンゴことデビッド・ニルソン。オランダ代表に千葉ロッテ、ヤクルトで活躍し代表監督になるヘンスリー・ミューレンが選ばれている。アメリカ代表の監督はラソーダ監督である。
シドニー五輪からバットが木製になりホームランは激減したようだ。なので今までより投手陣が重要となる大会と目されていた。

予選リーグ第1戦

アメリカvs日本

   1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 R
JPN 0 0 0 0 0 0 0 1 1 0 0 0 0 2
USA 0 0 0 0 0 0 2 0 0 0 0 2 x 4

(日)松坂、杉内─鈴木郁

予選リーグ第2戦

日本vsオランダ

   1 2 3 4 5 6 7 8 9 R
NLD 0 1 0 0 0 0 1 0 0 2
JPN 1 3 0 3 0 0 2 1 x 10

  (日)吉見、土井、河野─鈴木郁
【本】中村、松中

予選リーグ第3戦

オーストラリアvs日本

   1 2 3 4 5 6 7 8 9 R
JPN 1 0 0 0 2 4 0 0 0 7
AUS 0 0 3 0 0 0 0 0 0 3

  (日)黒木、石川─鈴木郁
【本】沖原

予選リーグ第4戦

イタリアvs日本

   1 2 3 4 5 6 7 8 9 R
JPN 0 1 0 1 2 0 0 1 1 6
ITA 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1

(日)山田、渡辺、石川、土井─鈴木郁
【本】田中幸

予選リーグ第5戦

南アフリカvs日本

   1 2 3 4 5 6 7 8 9 R
JPN 3 0 0 0 2 0 0 2 1 8
ZAF 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

(日)吉見、杉内、杉浦、河野、山田─阿部
【本】中村、田中幸

予選リーグ第6戦

日本vs韓国

   1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 R
KOR 4 0 0 0 0 0 1 0 0 2 7
JPN 2 0 0 0 1 0 2 0 0 1 6

(日)松坂、土井─鈴木郁
【本】沖原

予選リーグ第7戦

日本vsキューバ

   1 2 3 4 5 6 7 8 9 R
CUB 0 1 1 0 3 1 0 0 0 6
JPN 0 0 0 2 0 0 0 0 0 2

(日)山田、渡辺、杉浦、河野─鈴木郁


予選リーグ初戦はアメリカ。松坂ー杉内というWBCのようなリレーである。だが結果はサヨナラ負け。松坂は10回を2失点に抑える好投を見せるが、13回裏に杉内が被弾してしまった。
つづくオランダ戦では中村、松中の主軸にホームランが飛び出し快勝。オーストラリア、イタリア、南アフリカにも勝利しての韓国戦である。
先発は松坂だが、初回にイ・スンヨプに本塁打を浴びるなど4失点。2回以降は立ち直るが、9回を5失点で降板する。アメリカ戦につづき延長戦にもつれこむも接戦を落とした。
キューバ戦も13安打6失点と打ち込まれて完敗する。日本は予選リーグを4勝3敗、どうにか4位で決勝トーナメントに進出である。

準決勝

キューバvs日本

   1 2 3 4 5 6 7 8 9 R
JPN 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
CUB 0 0 0 1 0 2 0 0 x 3

(日)黒木、石川─鈴木郁

大一番である準決勝は対キューバである。先発はジョニー黒木
序盤3回はキューバ打線を力でねじ伏せるが4回にキンデランにタイムリーを打たれる。6回にも再びキンデランにやられてしまう。
予選でもキンデランは日本戦でホームランを打つなど、日本人投手との相性が良かったのだろうか。
黒木は7回を3失点のクオリティースタートであるが打線の援護がなかった。完全に抑え込まれたわけでもなかったが、つながらなかった。またしてもキューバに完敗し、金メダルの夢は潰えた。

3位決定戦

韓国vs日本

   1 2 3 4 5 6 7 8 9 R
JPN 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1
KOR 0 0 0 0 0 0 0 3 x 3

(日)松坂─鈴木郁

3位決定戦は永遠のライバル、韓国である。先発は当然のことに松坂大輔。中3日である。
だが松坂は疲れを感じさせないピッチングで7回まで韓国を無失点に抑える。
が、8回にまたしてもイ・スンヨプに打たれてしまう。日本は9回に1点を返すがそこまで。やはり接戦に勝てなかった。


オリンピック史上初めてプロ選手が出場しながら、初めてメダルを逃した大会となった。やはりこれは、オリンピックで金メダルをとるために日本球界が一枚岩にならなければならなかったのに、なれなかった結果だろう。当然のことに問題は選手ではなく、統括する組織にあった。プロ側が派遣した選手はとても満足できるメンバーではなかったし、アマはアマで監督を含めてプロ選手に依存しすぎていた。この結果を受けて次のアテネ五輪はオールプロのドリームチームで臨むことになる。

松坂は大会1位の25奪三振である。伊藤智仁のもつオリンピックレコード27に迫る記録であった。

コカコーラについてたピンバッジ。だと思う。



↑オリンピック後の「週刊ベースボール」の対談記事である。注目すべきはサムライ・ジャパンという見出しである。当然のことに2000年においてはまだ侍ジャパンという名称は使われていない。ノストラダムスの大予言が外れた翌年のことである。どうでもいいが。

出せ!小さくたって大声を。

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