シドニー五輪での惨敗を受けて、もはやプロ・アマ混合の代表チームでは勝てないと判断して、遂に史上初となるオールプロでの日本代表チーム結成となった。監督には日本球界のスーパースター長嶋茂雄である。
シーズン終了後ということもあり、イチロー、松井秀喜のメジャーリーガーを除けばとくに制約もなくほぼ最強メンバーといっていい。
この大会の長嶋ジャパンが歴代の野球日本代表最強説もあるくらいだ。
強いていえばこの年無双状態だった斉藤和巳、井川がいればさらにとんでもないチームになっていただろう。
また、スラッガーと呼べるような長距離打者もいなかったが、短期決戦で守備重視と考えれば問題ないだろう。試合によって一部の打順の変更はあったが、首位打者の小笠原が8番、名手井端が指名打者という恐ろしいスタメンである。球界を代表するショート3人が揃ってスタメンというわけだ。つまりはこの時代の日本代表はセカンドが穴だったわけである。今では逆に菊池、山田、浅村とセカンドに有能な人材が揃っている。
この大会は予選リーグに中国、フィリピン、インドネシア、パキスタンの4カ国が出場し、総当たりのリーグ戦を戦った。決勝リーグはシード枠の日本、韓国、台湾、そして予選リーグ1位の中国の4カ国でアテネ五輪出場の2枠を争った。
日本代表メンバー
監督
3 長嶋茂雄
コーチ
33 中畑清
32 大野豊
31 高木豊
投手
11 木佐貫洋(読売G)
13 岩瀬仁紀(中日D)
15 黒田博樹(広島C)
16 安藤優也(阪神T)
18 松坂大輔(西武L)
19 上原浩治(読売G)
21 和田毅(福岡ダイエーH)
30 小林雅英(千葉ロッテM)
61 石井弘寿(ヤクルトS)
捕手
8 谷繁元信(中日D)
9 城島健司(福岡ダイエーH)
内野手
2 小笠原道大(日本ハムF)
6 宮本慎也(ヤクルトS)
7 松井稼頭央(西武L)
17 二岡智宏(読売G)
48 井端弘和(中日D)
外野手
1 福留孝介(中日D)
5 和田一浩(西武L)
10 谷佳知(オリックスB)
23 木村拓也(広島C)
24 高橋由伸(読売G)
基本オーダー
1(遊)松井稼頭央
2(二)宮本慎也
3(中)高橋由伸
4(捕)城島健司
5(右)福留孝介
6(左)谷 佳知
7(指)井端弘和
8(一)小笠原道大
9(三)二岡智宏
決勝リーグ
第1戦
中国vs日本
🇯🇵 0 4 0 0 0 0 4 0 5 13
🇨🇳 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1
(日)上原、安藤、小林雅 ― 城島
日本の初戦は中国。
日本代表の先発は上原浩治。長嶋ジャパン、2006WBCの王ジャパンでは初戦は上原浩治が定番であった。
アマチュア時代から国際大会では無類の強さを発揮する安定感抜群の上原で大事な初戦を勝ちにいくパターンだった。
格下中国が相手とはいえ、この試合も上原は7回を1失点、安藤→小林雅のリレーは無失点に抑えた。打線は宮本、高橋由の4安打などで13得点と、硬くなりがちな初戦をしっかりものにした。
第2戦
台湾vs日本
🇹🇼 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
🇯🇵 0 1 2 2 3 0 1 0 X 9
(日)松坂、石井、黒田 ― 城島
第2戦は台湾である。
ここで勝てばアテネ五輪がぐっと近づく試合である。こういう試合は松坂大輔なのであった。
台湾の先発は同じく西武ライオンズの許銘傑である。松坂は7回を12奪三振、無失点に抑える快投で、石井→黒田の完封リレーである。初戦同様に打線もつながり、高橋由、福留の3安打などで9得点。日本の強さを見せつける試合となった。この時点で日本が2勝、韓国と台湾が1勝1敗で並んだ。
第3戦
韓国vs日本
🇯🇵 0 0 1 0 0 1 0 0 0 2
🇰🇷 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
(日)和田、黒田、岩瀬、小林雅 ― 城島
最終戦は永遠のライバル韓国。
韓国は初戦で台湾に痛いサヨナラ負けを喫していて絶対に負けられない。台湾の最終戦が中国戦であることを考えるとなおさらである。
日本代表は先発をルーキー和田に託した。和田は5回と1死を9奪三振、無失点という文句なしのピッチングである。6回途中から黒田→岩瀬→小林雅という悶絶しそうなリレーで韓国を零封した。打線は3回に二岡の二塁打からの宮本のタイムリー、6回には城島のヒットから福留のタイムリーで2点目を奪い、最終戦を勝利で飾りアテネ五輪行きの切符を手に入れた。同じく最終戦で中国に勝った台湾がアテネ五輪出場を決めた。
大会MVPは打率5割、5打点の日本代表宮本慎也である。宮本はこの大会からアテネ五輪、07アジア選手権、北京五輪と日本代表でキャプテンを努めた。06WBCではキャプテンとしてではなく、チームリーダーのイチローを裏方として支えたわけだが、今の侍ジャパンに欠けているピースはやはり宮本慎也だと思う。06WBC以降、北京五輪以外では侍ジャパンはキャプテンを指名しないという風潮になっているが、やはり選手の中に発言権をもった選手を指名すべきではないかと思う。
とてつもない重圧の三日間だったという。日本プロ野球界の象徴ともいうべき長嶋茂雄を監督に、オールプロの日本代表で臨んだアジア予選である。負けるわけにはいかなかった。全勝でアテネ五輪行きを決める、そう決意を掲げてのアジア予選だった。このオールプロ故のプライドはアテネ五輪本選にも引き継がれる。国際大会を勝ち抜くための狡猾さや手練手管はやはりなく、自ら足枷を嵌めるようにして日本代表は戦ったのである。
そして長嶋ジャパンはアテネ五輪でメンバーを入れ替えながらも再結集するわけだが、2004年3月4日、日本球界に激震が起きる。