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長嶋ジャパン、その野球的神話
2000年、シドニー五輪という舞台で、日本野球代表が世界の壁に打ち砕かれたその惨状── それは、一つの明確な結論を我々に突きつけた。
プロとアマの混成チームではもはや勝ち得ない、と。
その結果、全てのカンフル剤を注ぎ込み、日本野球史上初、オールプロによる代表チームが結成されるに至った。この劇的な転換点において、指揮を執るべく選ばれたのは、日本野球界のアイコン、長嶋茂雄その人である。
長嶋ジャパンの選手選考は、時期的にはシーズン終了後というタイミングに恵まれ、イチローや松井秀喜らメジャーリーガーを欠きつつも、ほぼ最強と評して差し支えない陣容を実現した。
そしてこの長嶋ジャパンは、いわゆる国内組のみの編成では、歴代の野球日本代表チームの中でも最強の布陣として語り継がれる存在となる。
そんな最強メンバー編成において、唯一の欠落とも言えるのは── その年無敵の投球を見せた斉藤和巳と井川慶── この二人の不在であったろう。
中村紀洋、松中信彦らの辞退により長距離打者の不足を指摘する声もあったが、短期決戦における守備力の優位性を踏まえれば、このチームは圧倒的なパワーを内包していた。
各選手の配置においても、首位打者の小笠原道大を8番に置き、守備の名手井端弘和を指名打者に起用するなど、非凡な采配が光る。
そして球界を代表するショートプレイヤーが三人も同時にスタメン入り── この贅沢な配置にこそ、当時の日本代表の充実ぶりが如実に現れていた。
一方で、セカンドがいささかの弱点とされていた点は、時代の流れに翻弄された象徴と言える。
現代では菊池涼介、山田哲人、浅村栄斗といったセカンドの名手が揃い、その流れは大きく変わった。
アテネ五輪アジア地区予選のシステム
この大会、予選リーグには中国、フィリピン、インドネシア、パキスタン── 以上4ヶ国が名を連ね、総当たりのリーグ戦を経て決勝ラウンドへと至る。
そして決勝リーグでは、日本、韓国、台湾、そして予選1位通過の中国── この4ヶ国が、アテネ五輪への切符を懸けて死闘を繰り広げたのである。
この戦いの軌跡は、短期決戦という舞台での守備力と戦術の重要性を改めて浮き彫りにした。そして何より、長嶋ジャパンが日本野球の歴史に刻んだその瞬間は、語り継がれるべき栄光のひとコマである。
長嶋ジャパンが残した輝かしい足跡── それは日本野球界の神話として、今なお燦然と輝き続けている。
日本代表メンバー
監督
3 長嶋茂雄
コーチ
33 中畑清
32 大野豊
31 高木豊
投手
11 木佐貫洋(読売G)
13 岩瀬仁紀(中日D)
15 黒田博樹(広島C)
16 安藤優也(阪神T)
18 松坂大輔(西武L)
19 上原浩治(読売G)
21 和田毅(福岡ダイエーH)
30 小林雅英(千葉ロッテM)
61 石井弘寿(ヤクルトS)
捕手
8 谷繁元信(中日D)
9 城島健司(福岡ダイエーH)
内野手
2 小笠原道大(日本ハムF)
6 宮本慎也(ヤクルトS)
7 松井稼頭央(西武L)
17 二岡智宏(読売G)
48 井端弘和(中日D)
外野手
1 福留孝介(中日D)
5 和田一浩(西武L)
10 谷佳知(オリックスB)
23 木村拓也(広島C)
24 高橋由伸(読売G)
基本オーダー
1(遊)松井稼頭央
2(二)宮本慎也
3(中)高橋由伸
4(捕)城島健司
5(右)福留孝介
6(左)谷 佳知
7(指)井端弘和
8(一)小笠原道大
9(三)二岡智宏
決勝リーグ
第1戦
中国vs日本
🇯🇵 0 4 0 0 0 0 4 0 5 13
🇨🇳 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1
(日)上原、安藤、小林雅 ― 城島
日本の初戦は中国。
日本代表の先発は上原浩治。長嶋ジャパン、2006WBCの王ジャパンでは初戦は上原浩治が定番であった。
アマチュア時代から国際大会では無類の強さを発揮する安定感抜群の上原で大事な初戦を勝ちにいくパターンだった。
格下中国が相手とはいえ、この試合も上原は7回を1失点、安藤→小林雅のリレーは無失点に抑えた。打線は宮本、高橋由の4安打などで13得点と、硬くなりがちな初戦をしっかりものにした。
第2戦
台湾vs日本
🇹🇼 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
🇯🇵 0 1 2 2 3 0 1 0 X 9
(日)松坂、石井、黒田 ― 城島
第2戦は台湾である。
ここで勝てばアテネ五輪がぐっと近づく試合である。こういう試合は松坂大輔なのであった。
台湾の先発は同じく西武ライオンズの許銘傑である。松坂は7回を12奪三振、無失点に抑える快投で、石井→黒田の完封リレーである。初戦同様に打線もつながり、高橋由、福留の3安打などで9得点。日本の強さを見せつける試合となった。この時点で日本が2勝、韓国と台湾が1勝1敗で並んだ。
第3戦
韓国vs日本
🇯🇵 0 0 1 0 0 1 0 0 0 2
🇰🇷 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
(日)和田、黒田、岩瀬、小林雅 ― 城島
最終戦は永遠のライバル韓国。
韓国は初戦で台湾に痛いサヨナラ負けを喫していて絶対に負けられない。台湾の最終戦が中国戦であることを考えるとなおさらである。
日本代表は先発をルーキー和田に託した。和田は5回と1死を9奪三振、無失点という文句なしのピッチングである。6回途中から黒田→岩瀬→小林雅という悶絶しそうなリレーで韓国を零封した。打線は3回に二岡の二塁打からの宮本のタイムリー、6回には城島のヒットから福留のタイムリーで2点目を奪い、最終戦を勝利で飾りアテネ五輪行きの切符を手に入れた。同じく最終戦で中国に勝った台湾がアテネ五輪出場を決めた。
野球日本代表キャプテン
アジア野球選手権兼アテネ五輪アジア地区予選において、宮本慎也は打率5割、5打点を記録し、大会MVPに輝いた。
その結果以上に重要だったのは、キャプテンとして日本代表をまとめ上げたその手腕だ。
アテネ五輪、07年アジア選手権、北京五輪と続く日本代表の歴史の中で、彼は常にその中心にいた。
WBC2006ではキャプテンとしてではなく、リーダー・イチローを裏方から支える役割を担い、目立たぬ形でチームを支えた。
宮本は、ただ実力を示すだけの選手ではなかった。彼のキャプテンシーは、チームの士気を高め、結束を固める要であった。個々の選手に寄り添いながら、時に冷静に全体を俯瞰するーーーそんな役割を自然にこなす彼の姿勢は、長嶋ジャパンにとって欠かせないものだった。
長嶋ジャパン発足にあたり、まず二人の選手の招集が決まったというのだが、それが宮本慎也と城島健司だったというのは頷ける。
この人選はバルセロナ、アトランタ、シドニー五輪の日本代表におけるハート&ソウルといえる、ミスターアマ野球の杉浦正則が、宮本慎也の同志社大学の2年先輩であることが大きく影響していたであろうことは想像できる。
このような継承が形を変えてでも日本代表に受け継がれていくべきだと思っている。
長嶋ジャパンという重圧
日本プロ野球界の象徴、長嶋茂雄を監督に迎えたオールプロの日本代表が挑んだその戦いは、「負けるわけにはいかない」という重圧とともにあった。
全勝でアテネ五輪への切符を掴んだその姿は、確かにプライドに満ちたものだった。しかし、その裏には、狡猾さや戦術的な柔軟性を欠いた戦いぶりが影を落としていた。
そして、迎えた翌2004年。アテネ五輪への準備が進む中、事態は思わぬ方向へと進む。
2004年3月4日、日本野球界に激震が走るのである。