侍ジャパンと、ユニフォームと

野球日本代表、すなわち侍ジャパンのユニフォームなどに関する二、三の事柄。日本代表ネタ、国際大会ネタがないときは野球カードでつなぎます。お許しを。

【侍ジャパンの歴史・記憶 2006WBC前篇】イチローの「30年発言」に端を発した因縁の日韓戦序章

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新しい国際大会の誕生
2005年の5月に新しい野球のワールドカップ開催構想が発表された。現行のIBAFワールドカップとは違う、メジャーリーガー参戦の新しい国際大会で、名称はワールド・ベースボール・クラシックと決まった。ここから少しずつ、細かいことが決まっていく。日本でも10月に代表チーム監督に王貞治が就任が決定。12月にイチローが正式に参加を表明。とにかく野球界において初めての試みなので、多くのことがスムーズには進まなかった。

「アメリカの選手からサインを求められるとしたら、日本代表の中で王監督が1番多くなるはず。王監督の偉大さを感じるし、そういう監督のもとでできる。恥をかかせるわけにはいかない 」
WBCに向けて始動したときのイチローの意気込みのコメントである。誰もが初めての大会なので、野球ファンもマスコミも手探りの状態、という感じで、日本人メジャーリーガーで不参加を決める選手もいた。ピッチャーの球数制限など独自のルールもあった。それでも中南米の国はほとんどがメジャーリーガーである。とにかくそこが重要だった。そんな真の世界一を決める国際大会、このWBCをイチローはどうしても成功させたかったのだろう。彼の大会前からの積極的な発言は、WBCという大会に世間の注目を集めることに第一段階としては成功していた。

 

WBC2006ポスター

 

日本代表メンバー

監督

89  王貞治

  
コーチ

86  鹿取義隆       
84  武田一浩
87  大島康徳
85  辻発彦 
88  弘田澄男

 

投手   
11  清水直行(千葉ロッテM)
12  藤田宗一(千葉ロッテM)
15  久保田智之(阪神T)
18  松坂大輔(西武L)
19  上原浩治(読売G)
20  薮田安彦(千葉ロッテM)
21  和田毅(福岡ソフトバンクH)
24  藤川球児(阪神T)
31  渡辺俊介(千葉ロッテM)
40  大塚昌則(テキサスR)
41  小林宏之(千葉ロッテM)
47  杉内俊哉(福岡ソフトバンクH)
61  石井弘寿(東京ヤクルトS) 途中負傷離脱
61  馬原孝浩(福岡ソフトバンクH) 追加召集


捕手

22  里崎智也(千葉ロッテM)
27  谷繁元信(中日D)
59  相川亮二(横浜B)


内野手

1    岩村明憲(東京ヤクルトS)
2    小笠原道大(北海道日本ハムF)
3    松中信彦(福岡ソフトバンクH)
7    西岡剛(千葉ロッテM)
8    今江敏晃(千葉ロッテM)
10  宮本慎也(東京ヤクルトS)
25  新井貴浩(広島C)
52  川崎宗則(福岡ソフトバンクH)


外野手

5    和田一浩(西武L)
6    多村仁(横浜B)

9    金城龍彦(横浜B)
17  福留孝介(中日D)
23  青木宣親(東京ヤクルトS)
51  イチロー(シアトルM)

 

 

基本オーダー

1(右)イチロー
2(二)西岡剛
3(中)福留孝介
4(指)松中信彦
5(左)多村 仁
6(三)岩村明憲
7(一)小笠原道大
8(捕)里崎智也
9(遊)川崎宗則

 

 

1次ラウンド

プールA:東京ドーム

こうして始まった第1回WBC、日本代表は東京で行なわれたアジアラウンドで開幕を迎えた。このアジアラウンドを全勝で通過することを目指していた日本代表、なんだアテネのときと変わってないじゃないか、と思わないでもないが、やはりアテネ五輪のときとは違う。アジアで負けているようではアメリカでは到底勝てやしない、ということだったのだ。プロのプライドだとか面子だとかの話ではなかった。
「ただ勝つだけじゃなく、すごいと思わせたい。戦った相手が向こう30年は日本に手は出せないな、という感じで勝ちたいと思う」
アジアラウンド開幕前のイチローの発言である。どこ、というわけでもなくアジア諸国とのゲームに向かう意気込み、という意味合いだったのだろうが、韓国メディアが歪曲して報道した結果、野球における日韓戦は注目度が上がるようになった。06WBC以前の五輪などにおけるあくまで隣国のライバル、という程度の位置づけを大きく越えた因縁の対決として、悪くいえば国際大会で利用されるようになる。

 


GAME1
中国vs日本
🇯🇵  0 1 1  0 4 3  2 7   18
🇨🇳  0 0 0  0 2 0  0 0   0
8回コールド
(日)上原、清水 ― 里崎
【本】西岡1号、福留1号、多村1号

 

アジアラウンド第1戦は中国。先発は上原浩治。この時代の日本代表の初戦は上原だった。4回にまさかの同点2ランを浴びるが、終盤は日本ペースで試合は進み、終わってみれば18対2の8回コールド勝ちであった。

 


GAME2
台湾vs日本
🇯🇵  3 1 1  0 6 1  2   14
🇹🇼  0 1 0  0 0 2  0   3
7回コールド
(日)松坂、薮田、小林宏、藤川 ― 里崎、相川
【本】多村2号

 

2戦目は松坂大輔。勝てば2次ラウンド進出が決まる大事な台湾戦である。こういう試合の先発は松坂である。第1ラウンドの球数制限が65球ということもあり、松坂は4回を1失点で降板、薮田、小林宏、藤川とつないだ。打線は中国戦同様に15安打で大量14得点。多村は2戦連発となる3ランを放った。投打が噛み合い日本代表は2次ラウンド進出を決めた。

 


GAME3
日本vs韓国
🇰🇷  0 0 0  0 1 0  0 2 0   3
🇯🇵  1 1 0  0 0 0  0 0 0   2
(日)渡辺俊、藤田、杉内、石井弘、藤川、大塚 ― 里崎
【本】川崎1号

 

アジアラウンド最終戦は韓国戦である。

共に2次ラウンド進出を決めている国同士の単なる消化試合が、イチローの30年発言により、意地とプライドが激突するアジアラウンド最重要ゲームとなった。
先発は王監督から先発三本柱の一人に指名された渡辺俊介。
日本代表は初回ニ死三塁から松中の内野安打で先制、2回には川崎のホームランで2点差とした。だが4回裏に韓国にビッグプレーか生まれる。ニ死満塁のチャンスに放った西岡の長打性の当たりをライト李晋暎がダイビングキャッチ。これで流れが変わってしまった。
先発渡辺は調子は悪くなかったのだが、シンカーが抜けることがあり、避けない韓国打者に3死球で、5回に犠牲フライで1点差にされる。
藤田、杉内が無失点でつなぐが、8回表に石井弘が李承燁に痛恨の逆転2ランを浴びてしまう。最後は朴賛浩に抑えられ、日本代表はアジアラウンドを2勝1敗で終えた。最終打者はイチローであった。

後編へつづく。