侍ジャパンと、ユニフォームと

野球日本代表、すなわち侍ジャパンのユニフォームなどに関する二、三の事柄

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【侍ジャパンの歴史・記憶 極東選手権競技大会】フィリピンが野球強豪国だった時代。

1913〜1934年極東選手権競技大会


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侍ジャパン、というか日本代表、というか日本の野球チームが参加した初の国際大会が1913年にフィリピン・マニラで開催された第1回極東選手権競技大会(第1回のみ東洋オリンピックと呼称)である。
1872年、一ツ橋にあった第一大学区第一番中学(後の開成学校、東京大学の前身機関の一つ)のアメリカ人教師ホーレス・ウィルソンが生徒に教えたのが日本へのベースボール初伝来である、というのが有力な説である。日本初の野球チームは1878年にアメリカ帰りの平岡凞によって結成された新橋アスレチック倶楽部である。
1905年、早稲田大学野球部が初めてアメリカ遠征を行っている。この遠征で早稲田大学は多くの野球の最新技術を日本に持ち帰ったとされている。1908年にはアメリカマイナーリーグの選手主体のリーチ・オール・アメリカンという選抜チームが日本にやってくる。
そして1913年に、日本球界初となる国際大会への出場が決まる。この極東大会は、マニラでのカーニバル祭をきっかけに、スポーツによって日本、中華民国、フィリピンを盛り上げていこうよ、と1934年までに計10回開催された大会である。もちろん野球だけではなく、陸上、水泳、テニス、サッカー、バスケットボール、バレーボールなどの競技も行われた。第3回・9回は東京で、第6回は大阪で開催された。参加したのは代表チームではなく、予選会などを勝ち抜いた大学チームであった。いわゆる侍ジャパン、日本代表チームではないが、黎明期における日本の野球が世界へ向かった第一歩、ということで取り上げてみた。

 


第1回 1913年(大正2年):開催地 マニラ
出場チーム 明治大学
日本6―0フィリピン
日本6―2フィリピン
1番ショートで出場した中澤不二雄によると、初戦の勝利後に応援団と抱いて喜び、そして泣いたという。今も昔も、国際大会には独特の重圧があるようだ。

 


第2回 1915年(大正4年):開催地 上海
不参加

 


第3回 1917年(大正6年):開催地 東京
出場チーム 早稲田大学
日本4―3フィリピン
日本2―0フィリピン

 


第4回 1919年(大正8年):開催地 マニラ
不参加

 


第5回 1921年(大正10年):開催地 上海
出場チーム ダイヤモンド倶楽部
日本15―1中華民国
日本1―0フィリピン
日本0―1フィリピン
日本2―3フィリピン
この大会から野球競技に中華民国が参戦するようになった。

 


第6回 1923年(大正12年):開催地 大阪
出場チーム 全慶應
日本5―0中華民国
日本0―4フィリピン

 


第7回 1925年(大正14年):開催地 マニラ
出場チーム 満州倶楽部
日本12―0中華民国
日本0―4フィリピン
日本11―2中華民国
日本2―3フィリピン
第1回大会に出場した明治大学の中澤不二雄が12年ぶりに出場している。試合外で、現地警備員との闘いなどがあり、国際大会特有の洗礼があったようだ。

 


第8回 1927年(昭和2年):開催地 上海
出場チーム 慶應義塾大学
日本6―0中華民国
日本3―1フィリピン
日本4―1中華民国
日本2―0フィリピン
中華民国はフィリピンに2勝して、初めて準優勝に輝いた。

 


第9回 1930年(昭和5年):開催地 東京
出場チーム 選抜チーム
日本10―4フィリピン
日本21―3中華民国
日本8―5フィリピン
日本17―10中華民国
この大会では慶應大をメインに大学選抜チームを組んでの出場となった。若林忠志(後にタイガース入り)、水原茂(後にジャイアンツ入り)などがメンバー入りしていた。

 


第10回 1934年(昭和9年):開催地 マニラ
出場チーム 東京倶楽部
日本20―1中華民国
日本0―7フィリピン
日本8―0中華民国
日本2―2フィリピン(日没引分)
満州国参加問題で日本と中華民国の対立が明確となり、この大会で極東選手権競技大会は幕を閉じることになった。日本における近代野球の二塁守備は、苅田から始まると評される苅田久徳がメンバー入りしている。

 

この時代のフィリピン、中華民国は野球強豪国だったという。プロチーム誕生前の日本が、このような国際大会に出場していたということが野球界の発展に大いに関係していたと思われる。大会後にプロ選手・指導者への道に進む選手が多く出場していたことがその証左である。彼らの経験が日本野球黎明期を力強く支えていたのだろう。