侍ジャパンと、ユニフォームと

野球日本代表、すなわち侍ジャパンのユニフォームなどに関する二、三の事柄。基本的には月曜、木曜更新です。

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【侍ジャパンの歴史・記憶 88ソウル五輪】覚醒世代が開いた日本野球界の新たなフェーズ。

1988年ソウル五輪

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日本代表メンバー

監督          
30  鈴木義信     
コーチ         
31  川島勝司     
32  山中正竹     
投手          
11  潮崎哲也 →西武 
12  渡辺智男 →西武 
14  鈴木哲  →西武 
15  菊池総      
16  吉田修司 →巨人 
18  石井丈裕 →西武 
19  野茂英雄 →近鉄 
捕手          
20  古田敦也 →ヤクルト
22  應武篤良     
内野手         
1  西正文       
2  葛城弘樹      
3  米崎篤臣 →近鉄  
6  野村謙二郎 →広島 
9  小川博文 →オリックス
10  筒井大助      
28  大森剛  →巨人  
外野手          
8  中島輝士 →日本ハム
21  前田誠       
25  松本安司      
27  苫篠賢治 →ヤクルト


 

予選リーグB組第1戦

日本vsプエルトリコ

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R
PRI 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1
JPN 3 0 3 0 0 0 1 0 0 7

(日)石井─古田
【本】大森

予選リーグB組第2戦

日本vs台湾

   1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 R
TWN 0 0 0 0 0 0 3 0 0 0 0 0 0 3
JPN 0 0 0 0 0 1 0 2 0 0 0 0 1 4

(日)野茂、潮崎、石井─古田

予選リーグB組第3戦

オランダvs日本

   1 2 3 4 5 6 7 8 9 R
JPN 2 0 0 2 0 0 0 2 0 6
NLD 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1

(日)潮崎、菊池、鈴木、渡辺─古田、應武

準決勝

日本vs韓国

   1 2 3 4 5 6 7 8 9 R
KOR 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1
JPN 0 0 0 0 0 0 1 2 X 3

(日)石井、潮崎、野茂─古田
【本】中島

決勝

日本vsアメリカ

   1 2 3 4 5 6 7 8 9 R
USA 0 0 0 3 1 0 0 1 0 5
JPN 0 1 0 0 0 2 0 0 0 3

(日)石井、渡辺、吉田、潮崎、野茂─古田

 

基本オーダー

1 3B 葛城
2 SS 西 
3 RF 筒井
4 1B 中島
5 DH 大森
6 LF 松本
7 2B 小川
8 C   古田
9 CF 前田

前回につづき、88年ソウルオリンピックも野球は公開競技である。参加国は8ヶ国。予選リーグA組にアメリカ、韓国、オーストラリア、カナダ。B組に日本、プエルトリコ、オランダ、台湾である。注目はアメリカ代表の隻腕のエース、ジム・アボット。「アボット・スイッチ」と呼ばれた投球後のグラフさばきに、94マイルのストレート、カーブ、チェンジアップ、スライダーという本格左腕であった。
日本代表はなかなかのメンバーである。特に投手陣は90年代前半のパリーグ(ほとんど西武ライオンズだが)を代表するような顔ぶれである。この代表チームにおいてはエース格は渡辺智男だったが、直前の世界選手権でヒジを痛め、ソウル五輪では石井丈裕が先発の軸となった。野茂、潮崎はチームでは若手だった。それでも野茂・古田のバッテリーには胸が踊るというものだ。 
代表チームは8月にイタリアで開催された世界選手権でキューバ、アメリカ、台湾、プエルトリコに敗れての4位と最悪の状態であったが、逆にチームがまとまった。

予選リーグ全勝で準決勝に進む。3試合で失点5と投手陣が安定していた。初戦のプエルトリコ戦では石井が1失点完投である。ヤマ場である台湾戦こそ3失点だが、野茂からリレーの潮崎、石井が踏ん張り延長戦。13回裏に古田のタイムリーでサヨナラ勝ちである。
準決勝は韓国戦。7回途中から登板の野茂が好投し終盤での逆転を呼びこんだ。先制された直後の7回裏に、4番中島が韓国エース朴から同点ホームランを放つ。8回に古田の犠牲フライで勝ち越すのである。
前大会につづき決勝の相手はアメリカ。石井とアボットの投げ合いである。日本は2回に先制したが1点にとどまった。石井も好投していたが4回につかまってしまう。マルチネスに特大2ランを打たれ渡辺にスイッチ。だがさらに1点を追加されて5回にもマルチネスにタイムリーを打たれて3点差である。日本は6回に一死満塁とするが2点で終わってしまい、8回にまたもマルチネスにホームランを打たれてしまう。追いつけそうで追いつけない日本に立ちはだかったのが先発アボットの闘志と気迫だった。アボットは五輪決勝で完投勝利である。
おそらく今の国際大会で、アメリカ投手の完投勝利というのは見ることはないだろう。とにかく決勝でのアメリカ代表は気迫に溢れていた。4年前の地元での屈辱を晴らすには金メダルしかなかったのだ。

ソウル五輪代表チームは85年インターコンチネンタルカップ、87年アジア選手権、88年世界選手権、五輪直前の四カ国対抗五輪壮行試合などを通じて、世界の野球に対して誰よりも、ドメスティックな世界しか知らない当時のプロ選手よりも覚醒し、先を行っていた。この代表チームの中心的な世代が、日本の野球界を新たなフェーズに導いていくことになる。

出せ!小さくたって大声を。

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