侍ジャパンと、ユニフォームと

野球日本代表、すなわち侍ジャパンのユニフォームなどに関する二、三の事柄。日本代表ネタ、国際大会ネタがないときは野球カードでつなぎます。お許しを。

【侍ジャパンの歴史・記憶 92バルセロナ五輪】赤い稲妻・キューバ代表五輪初参戦の衝撃

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めでたくバルセロナ五輪において正式種目となった野球である。
スペインで誰が見るんだ、と今なら思うが、当時はとくにそういうことは思わなかったものである。子供だったせいか、野球がマイナースポーツだという認識がまるでなかったのである。恐ろしい。


今大会から予選リーグのシステムが変わった。


前大会までは二つのグループに分かれていたが今大会から総当たりである。よって試合数が増えた。決勝まで進んでも五試合だったが、バルセロナでは九試合である。正式種目になったからだろうか。
東京五輪では再びAとBの2グループに分かれて行われる。


代表チームは社会人中心の選出である。というかほとんど社会人である。唯一大学生から選出されたのが小久保裕紀であった。前侍ジャパントップチーム監督である。
また、小久保はバルセロナで共に戦ったプロ経験のない小島啓民を後にトップチームのコーチに招聘している。選手では他にも高速スライダーの伊藤智仁、エース格の小桧山雅仁、アンパンマン杉山賢人、後にミスターアマ野球と呼ばれる杉浦正則などがいる。また、監督の山中正竹は全日本野球協会の現在の会長である。


オリンピックにおいて野球が正式種目として採用されたことを祝してか、五輪日本代表の壮行試合として開催年の3月にアマ・プロ交歓試合が行われた。
さらっと書いたがこれは当時としては画期的なことであった。
今でこそ侍ジャパンとしてプロもアマも同じ代表ユニフォームを着て、さらにはU-26プロ選抜VS.大学日本代表などの試合が行われたり、シドニー五輪はプロ・アマ混成代表チームで戦っているが、詳細は避けるが柳川事件以降、野球界においてはプロとアマは長い期間断絶状態だったのである。
ちなみにプロ選抜チームには野茂、古田、新庄などが選ばれている。
結果は9対10で日本代表は敗れたが、若手主体のプロ選抜とはいえ善戦である。


そして遂にオリンピックの舞台に姿を現したのがキューバである。
ロス、ソウルでは政治的背景によって出場を見送ったキューバが、メジャー国際大会に登場したのである。リナレスやキンデランを擁するキューバは当時の野球界で、世界最強と言われていた。

 

 

日本代表メンバー

監督          
30  山中正竹
 
コーチ   
32  荒井信久     
35  野端啓夫
 
投手          
12  佐藤康弘     
14  杉山賢人 →西武L
15  渡部勝美     
16  西山一宇 →読売G
17  小桧山雅仁 →横浜B
18  伊藤智仁 →ヤクルトS
19  杉浦正則
 
捕手           
10  高見泰範
23  三輪隆

 

内野手           
1  大島公一 →近鉄B
3  若林重喜       
4  西正文        
5  徳永耕治       
6  十河章浩       
7  小島啓民       
8  小久保裕紀 →福岡ダイエーH

 

外野手             
9   坂口裕之         
25 佐藤真一 →福岡ダイエーH
26 中本浩          
28 川畑伸一郎    

 

 

基本オーダー

1(二)大島公一
2(遊)十河章浩
3(右)佐藤真一
4(一)徳永耕治
5(三)若林重喜
6(左)小久保裕紀
7(指)小島啓民
8(捕)高見泰範
9(中)坂口裕之

 

 

 

 

 

予選リーグ

第1戦
プエルトリコvs日本
🇯🇵  1 0 3  0 2 0  3 0 0   9
🇵🇷  0 0 0  0 0 0  0 0 0   0
(日)小桧山 ― 高見

 

日本が11安打、9得点で快勝。4番の徳永が3安打3打点と活躍した。
先発の小桧山はプエルトリコ打線を5安打完封。

 


第2戦
日本vsスペイン
🇪🇸  0 0 0  0 0 0  1   1
🇯🇵  2 4 0  2 0 4  X   12
7回コールド
  (日)伊藤 ― 高見、三輪
【本】佐藤真、徳永、小久保

 

開催国のスペインをコールドで撃破。
2回には佐藤真、徳永の連続ホームラン。唯一の大学生小久保にもホームランが出た。
先発の伊藤智仁は7回を3安打1失点の好投。

 


第3戦
日本vsキューバ
🇨🇺  0 0 4  0 0 2  2 0 0   8
🇯🇵  0 0 0  1 0 1  0 0 0   2
  (日)渡部、佐藤康 ― 高見
【本】佐藤真

 

打倒キューバを掲げていた日本にとっては前半戦のヤマ場である。先発は左腕の渡部勝美。制球のいい変化球で抑えていくという皮算用だったが、キューバは強かった。
リナレスに二本のホームランを浴びるなど、8対2の惨敗であった。小久保裕紀はそのすべてにおいて衝撃を受けたという。プロ入り前に、日本のプロ野球を凌駕する世界を体感してしまったのである。

 


第4戦
ドミニカ共和国vs日本
🇯🇵  1 1 4  1 5 4  1   17
🇩🇴  0 0 0  0 0 0  0   0
7回コールド
(日)杉山、西山、杉浦 ― 高見、三輪
【本】小島、佐藤真、小久保

 

毎回得点による7回コールド勝ち。
小島、佐藤真、小久保のホームランを含めた18安打と打線が爆発した。
投げては杉山、西山、杉浦の継投で無失点。

 


第5戦
日本vsイタリア
🇮🇹  0 0 0  0 1 2  0 0   3
🇯🇵  4 0 1  5 0 2  0 1   13
8回コールド
(日)伊藤 ― 高見、三輪
【本】若林、徳永

 

日本は初回から、若林のツーランホームランなどで4点を先制。11安打、13得点と打線が爆発。
先発の伊藤智仁は8回を3失点と役目を果たした。

 


第6戦
日本vs台湾
🇹🇼  0 0 0  0 0 0  1 0 1   2
🇯🇵  0 0 0  0 0 0  0 0 0   0
(日)小桧山、杉浦 ― 高見

 

日本代表は小桧山が8回途中まで2失点と好投したが、台湾のエース郭李に3安打と手が出ず、完封負けを喫した。

 


第7戦
アメリカvs日本
🇯🇵  0 1 0  0 0 4  1 0 1   7
🇺🇸  0 0 0  0 1 0  0 0 0   1
(日)渡部、斎藤康、杉浦 ― 高見
【本】徳永、若林

 

次のアメリカ戦、負けると予選リーグ4位確定である。そうなると準決勝の相手がキューバとなる。それは避けたいよね。
そんなアメリカ戦は快勝である。渡部、斎藤、杉浦とつなぎ、打線も徳永、若林にホームランが出て7対1である。

このときのアメリカ代表には、ジェイソン・ジアンビ、ノマー・ガルシアパーラ、ジェイソン・バリテックなどがいた。

 

これで予選リーグ5勝2敗で日本、アメリカ、台湾が並び、当該国同士の総失点で最終順位が決まった。日本が2位。台湾が3位。アメリカが4位となった。準決勝の対戦相手は台湾である。

 

 

 

 

 

決勝ラウンド

準決勝

日本vs台湾
🇹🇼  1 0 0  1 1 1  0 1 0   5
🇯🇵  0 1 1  0 0 0  0 0 0   2
(日)小桧山、杉浦 ― 高見

 

準決勝台湾戦、当然エース同士の対決で、再び小桧山と郭李の投げ合いである。

だが小桧山はいきなり初回に先頭打者ホームランを浴びてしまう。日本は2回に西のタイムリー、3回に佐藤真の犠牲フライで勝ち越すが、4回に追いつかれる。

ここで小桧山から杉浦に投手交代するが、5回6回にソロホームランを浴びて2点差に広がった。郭李は5安打完投。台湾に二度もやられて日本代表の金メダルへの戦いは終わった。

 

 

3位決定戦

アメリカvs日本
🇯🇵  0 4 0  0 0 4  0 0 0   8
🇺🇸  0 0 0  2 1 0  0 0 0   3
(日)伊藤、杉山、杉浦 ― 高見

 

「このメンバーでの野球は今日が最後だ」
3位決定戦当日の朝、準決勝敗退のショックから士気が下がった選手たちに山中監督がかけた言葉である。
この言葉でチームは再び一丸となることができた。先発は伊藤智仁。2回に小久保のタイムリーから4点を先制。4回に1点を返されたところで早めの継投。杉山、杉浦とつないでいく。
6回にまたも小久保のタイムリーから4点を追加して、8対3の快勝。金メダル、打倒キューバは果たせなかったが、アメリカに二度の勝利という結果を残して日本代表のバルセロナ五輪は幕を閉じた。

大会はキューバが予選リーグから決勝まで全勝。総得点95点は2位日本の70点を大きく引き離し、他チームを圧倒。総失点も最少の22点で金メダルであった。
伊藤智仁の大会27奪三振はオリンピックレコードである。