侍ジャパンと、ユニフォームと

野球日本代表、すなわち侍ジャパンのユニフォームなどに関する二、三の事柄。日本代表ネタ、国際大会ネタがないときは野球カードでつなぎます。お許しを。

侍Jスポーツ新聞アーカイブ2:星野ジャパン誕生 |サンスポ(2007年1月26日)

星野ジャパン誕生

平成19年1月26日のサンケイスポーツ

 

あれはたしか、WBC20062006とかいう、妙に世界が狭くなったような、しかし逆にやたらと広がったような、あの奇妙な大会で、王貞治のひきいる日本代表が、ええい、とばかりに頂点をひっ掴んでしまった、その余熱がまだ空気の中に漂っていた頃のことである。

新聞が、でかい。とにかくでかい。顔面に貼り付くくらいでかい見出しで「優勝」とか書いてあって、なんだこれは、世界が紙になっているのか、とか思ったりして、ふと、おれは思いつく。

──これは集めねばならぬ。

なぜか。知らん。理由はない。だが集めねばならぬのだ。

しかしおれはスポーツ新聞を読む習慣がない。つまり、忘れる。見事に忘れる。昨日の自分が他人のように遠い。

優勝とか、そういう派手な事件が起きたときだけ、コンビニへと走る。走るが、それ以外の日は、はい終了、記憶は霧散、あとになって「ああ、あの日の一面、あれはきっとよかったに違いない」と、存在しない過去に対して悔しがる。悔しがるだけで、何も取り戻せない。

ところが、だ。

なぜか知らんが、星野ジャパン関連だけは、やけに手元にある。紙が残っている。積み重なっている。理由は依然として不明だが、たぶんこれは、言葉になる前の予感のようなもの、あるいは何かが起こる前のざわめきの記録なのだろう。

 

 

 

 

で、そのざわめきの中心に、星野仙一が、どん、と据えられる。

北京五輪の、まだずっと手前、時間でいえば一年以上も先の地点に、監督として就任してしまった。

早い。

早すぎる。

まるで未来を前借りしているみたいに、時間の流れが一箇所だけ加速している。

それだけ、この大会が、あの頃の日本球界にとって「最後の砦」のように見えていたということなのだろう。

「金メダルしかいらない」

その言葉は、宣言というよりも、むしろ呪文に近い。唱えれば現実が従う、とでも信じているような、ある種の危うさを含んだ、しかし抗いがたい響き。

重い。だが、その重さは、どこか甘美で、耳の奥に残るのである。

 

 

 

星野ジャパン誕生2

 

古い新聞をめくる。紙がかすかに鳴る。その音が時間の裂け目のように響く。

読む。だがそれは「読む」というより、「知っている未来をなぞる」という奇妙な行為だ。

この先どうなるかを知っている。知っているがゆえに、この時点の人々が抱いていた希望の量、その膨張具合が、やけに生々しく、そしてやけに硬いものとして感じられる。

柔らかいはずの夢が、なぜか石のように硬い。割れない。割れないが、いずれ砕けることも知っている。

そして記事の中には、ぽつりと書かれている。

 

 

 

星野ジャパン誕生3

 

オフシーズンだから、もしかするとメジャー組を呼べるのではないか──

その「もしかすると」が、やけに輝いている。

可能性という名の蜃気楼。近づけば逃げる。だが遠くから見ると、確かにそこに水があるように見える。

来るのか。来ないのか。

夢は現実に侵入するのか。

しかし現実は、たいていの場合、夢の侵入を拒む。

ドリームズ・カム・トゥルー、などと軽々しく言えるほど、世界は単純ではない。

夢は夢として、紙の上にだけ存在し、インクの乾きとともに、静かに固定される。

そしておれは、それを折りたたんで、しまい込む。

未来を知っているくせに、なお、そこに触れようとしてしまう、そのどうしようもなさごと。

 

 

発行日:2007年1月26日

新聞名:サンケイスポーツ

内容:日本代表監督に星野仙一就任