まったく未知数の国際大会だが、「週刊ベースボール」が盛り上げないで他に誰がやるんだ、という気概を感じた。
この頃は4年に一度だけの日本代表特集であった。まあそうだよね。
懸河のドロップ、カッコいいよね。大きいカーブはふたたびドロップと呼ぼう運動実施中。
U-23ワールドカップのアジア予選というのはない。アジア選手権の結果で出場国が決まるのだ。出場を決めてくれたのは侍ジャパン社会人代表チームである。
野球殿堂博物館に行って思ったのだが、この時代の帽子は残ってないの?展示されてなかったな。
日米ともに代表チームのユニフォームでやればもっと楽しいのになあ、なんて。
元祖・侍ジャパンはロス五輪日本代表って言ってなかった?言ったね。でもやっぱりこの時代を見過ごすことはできないよ。
侍ジャパンの歴史やユニフォームに関する記事が現在に追いつきそうなので、思い切って遡ってみたんだよ。
以前にEテレでやってた「ソーイングビー」というイギリスの番組が好きでよく見てた。裁縫なんてできないけどね。
スポーツが当たり前だった頃。遠い昔のように思えてきた。
俺は「日本のハシュハイザー」と呼ばれたいよ。