侍ジャパンと、ユニフォームと

野球日本代表、すなわち侍ジャパンのユニフォームなどに関する二、三の事柄。日本代表ネタ、国際大会ネタがないときは野球カードでつなぎます。お許しを。

【侍ジャパンの歴史・記憶 2009WBC後篇】日韓三年戦争最終局面!

今までで一番、東京ラウンドのチケットを買うのが大変だったWBC。それはどういうことかというと、まあ、そういうことだ。

【侍ジャパンの歴史・記憶 2009WBC前篇】WBCは北京のリベンジの場ではないと、イチローは言った

凄かったな、宮崎合宿。

【侍ジャパンの歴史・記憶 2008北京五輪】闘将・星野仙一の蹉跌。野球日本代表は何のためにあるのか

北京五輪のハイライトはやはりソフトボールの金メダル! 号泣しました。

【侍ジャパンの歴史・記憶 2007アジア選手権】明日が薔薇色に染まってしまった星野ジャパン12月の台中の死闘

アジア予選が一番、盛り上がったりする。

【侍ジャパの歴史・記憶 2006WBC後篇】拝啓、ボブ・デービッドソン。アメリカ野球が死んだ日、そしてアナハイムの奇跡、そして栄冠

WBCの最大の課題は決勝、準決勝あたりが日本人には生中継ではなかなか見られないということだ。仕事中だっつうの。

【侍ジャパンの歴史・記憶 2006WBC前篇】イチローの「30年発言」に端を発した因縁の日韓戦序章

ワールド・ベースボール・クラシック、アメリカ人のネーミングセンスってシンプルだけどカッコいいのよねえ、って当時思った。

【侍ジャパンの歴史・記憶 2004アテネ五輪】長嶋監督不在の長嶋ジャパンという十字架

野球日本代表は、野球の伝道師である。

【侍ジャパンの歴史・記憶 2003アジア選手権】オールプロの責任という虚構、重圧と緊迫の札幌決戦

阪神が18年ぶりにリーグ優勝、松井秀喜がメジャー挑戦、日本代表はドリームチームでアテネ五輪出場を目指した。僕は僕としていつもどおりの明日を目指した。

【侍ジャパンの歴史・記憶 2000シドニー五輪】日本球界の未熟さと歪さを露呈したシドニーの惨劇

侍ジャパンの過去バナ。Qちゃんとか、柔道の誤審とか、色々あったよ。僕も色々あったよ。何もない日々なんてないんだよ。

【侍ジャパンの歴史・記憶 99アジア選手権】半端感半端ない日本代表、笛吹けども踊らず

この年の怪物ルーキーの松坂大輔と、球界最強捕手古田敦也が参戦した大会。野球オリンピック史第2章のはじまりである。

【侍ジャパンの歴史・記憶 96アトランタ五輪】打倒キューバへの道中で印した確かなマイルストーン

だから野球日本代表、いわば侍ジャパンの今は昔。過去の思い出。美しい思い出。麗しき野球オリンピック史第1章完結編。