侍Jユニ・キャップ
野球殿堂博物館に行って思ったのだが、この時代の帽子は残ってないの?展示されてなかったな。
元祖・侍ジャパンはロス五輪日本代表って言ってなかった?言ったね。でもやっぱりこの時代を見過ごすことはできないよ。
グリーンライト、という言葉を覚えた大会である。
前にも書いたけど、ジャパンのキャップは被らないよね。でも買うんだよね。箱の中に重なっていくだけだよね。DA・YO・NE.
ビミョー、なんて思ってたけど、やっぱなんかいいかも、などと考えを改める柔軟さは君の日々をもっともっと楽しくするだろう。
参加・不参加で揉めた2013WBCだが、その先頭に立っていたのは新井さんだった。懐かしいね。
ワールド・ベースボール・クラシックという大会が、まだまだ始まったばかりの大会であることをこの大会で再認識した。色々と迷走しているのだ。未だに。
山本浩二監督。申し訳ないのだが不安しかなかった。なぜか監督経験のない小久保や稲葉が就任したときより不安だった。
いつか誰もが花を愛し歌を歌い返事ではない言葉を喋りだすのなら、という日々がまたやってくるのだろうか?
毎日仕事の黄金週間。わたしもSTAY HOMEしたいわ。
お前さんたち、栗原を呼べ、第1回に負けじと第2回も数々の名言が飛び出たよ。
はあ、野球見たいなあ、なんて暢気にほざいていられるだけ恵まれてるね。という時代である。
日本の野球ファンには永遠に語り継がれるであろう大会。新型コロナよ、4年に一度の愉しみを奪わないでおくれよ。
何が間違っていたのか、どうすれば正しかったのか。かんがえてもよくわからないのだ。
コロナ叩きつぶせ、コロナ叩きつぶせ、小さくたって大声で叫んでいなけりゃ気がすまぬ。
テレビを消してくれ、部屋の調度品を捨ててくれ、電気を消してくれ、月を見てたんだ。佐藤隆彦。
アノ19世紀以来、今日に至るまで、この国の男の魂はいつだって右往左往。
いよいよ延期となりそうな東京五輪。WBCは大丈夫だろうか?と思いはじめた。
2003アジア野球選手権からずっと、ほぼ変わらぬデザインのユニフォーム。野球日本代表の、いや侍ジャパンの、いや星野ジャパン。まだまだつづきます。
このアジア選手権、忘年会スルーしてテレビ観戦したのを覚えている。冷ややかな目で見られたのを覚えている。
ここで宣言しておくが、しばらくは似たようなユニフォームがつづきます。北京五輪編が終了するまでつづきます。
2007アジア選手権はとてつもなく濃密な3日間だった。やはりオリンピックは予選がないとな。
侍ジャパン、というか王ジャパン、ようは野球日本代表のキャップは買ったところでかぶらないよ。
日本代表史上唯一の海外メーカーのキャップである。どうしてキャップだけこうなったのかは知らない。
この時代の国際大会は楽しかった。試合が増えすぎたのか、量の増加は質の低下というやつか、なぜだろう。
王貞治が日本代表の監督で、もしも召集されたら五郎は断れないよ。あ、呼ばれることはねえか。
遂にイチローが日本代表にやって来た。なんでそれだけで、ありがとう、って思うんだろ?
2020年になったのでオリンピックイヤーである。東京五輪である。早くチケット届かないかな。むーん。
侍ジャパンといえばアサヒ スーパードライである。
野球日本代表、すなわち侍ジャパン、というよりむしろ長嶋ジャパンのキャップ。まさかギリシャで野球をするとはね。